16)。ついで高階氏は、平成4年(1992)の明治美術学会誌『近代画説』において、治29年(1896)の第1回展から第3回展まで、第2期を明治32年(1899)の第4回展人間の生活における「五感」の表現は、西欧絵画においては図像表現をともなう頻出するテーマであった。しかしそうした「五感」表現が、日本近代の西洋画法の導入に際して、果して存立し得ていたのか。我が国においてはまったく違ったかたちで表現されたのではないか。そして、実はそのことが高橋由ーから藤島武口にいたるまでに変化したものの内容ではなかっただろうか。まさにこのことが、以下において考察されるべきことがらであった。まず、絵画における感覚表現について、研究史を振り返ってみる。高階秀爾氏は、昭和42年(1967)から10回にわたり、「日本近代美術史ノート」として、高橋由ーから藤島武二までを「季刊藝術』に連載し、そのなかで、藤島の濃密な感覚的世界について述べ、藤島の作品に嗅覚、触覚、聴覚の表現を見いだした(注黒田の構想画の代表作とされる《昔語り》について、人間の五つの代表的感覚である「五感」の表現が描き合わされていることを指摘された(注17)。つぎに、中田裕子氏は『ブリヂストン美術館・石橋美術館館報』において昭和57年(1982)から平成4年(1992)の間、4回にわたって藤島武二の作品にみる西洋音楽の影響について研究報告をされた。この論文において、《天平の面影》《諧音》を、「音楽というものが、すなわち聴覚というものが視覚的に表現されいる」(注18)作品と位置づけられた。つぎに、昭和61年(1986)、『比較文学年誌』において丹尾安典氏は和田英作《こだま》について、この作品の世紀末的な象徴主義のひびきについて論述された。ただしその論旨からは、それが五感のひとつである「聴覚Jの表現からの視点を見出すことはできない。なお、〈こだま》の構図ともなっている樹下婦人図の問題については、植野健造氏による青木繁の〈秋声》についての論孜(注19)があり、その中で、植野氏はこの作品が、黒田清輝が日本の近代洋画に移植を試みた構想画の日本的変容とみなしうる、「心地」あるいは「感じ」の描出を意図した作品であるとの指摘をされた。ここでは、《秋声》という作品をめぐって、それが感覚の表現であるとの認識よりも、感情、なかでも情緒的、感傷的な雰囲気の表現であるとの認識が示されている。つぎに、近年の研究では、主題としての五つの感覚の表現にふれた論述を展覧会図録にみることができる。平成8年(1996)から翌年にかけて開催された「白馬会」展の図録である。そこで、植野氏は、白馬会の13回の展覧会を4期にわけ、第1期を明から第6回展まで、そして第3期を明治35年(1902)の第7回展から第10回展までと-220-
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