鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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(1) 統一的様相し、第11回展から最後の第13回展までを第4期とされた。このうち、本稿の主旨にかかわってくるのは第3期である。この明治35年(1902)開催の第7回展から第10回展までを概括して、植野氏は、[歴史画や理想画などのいわゆる浪漫主義絵画の登場」(注20)と位置づけられ、この位置づけの出発点となった作品が、さきに中田裕子氏の研究報告にあった藤島武二の《天平の面影》であった。この第3期に顕著な特色が、植野氏が指摘されるように、当時の批評用語で寓意性や象徴性をもった理想画としての作品に、嗅覚、聴覚、触覚といった人間の基本的な感覚を表現する作品がみられることである。以上が、人間の五感の表現をとくに問題とした論文でありまた関連する指摘である。この研究史を踏まえて、感覚の表現の様相を二つに分けることができる。五感表現の様相ひとつは、統一的な画面構成による五感表現についてである。これは、西欧絵画の伝統のなかで、17世紀に、オランダ、フランスでさかんに描かれた静物画における「五感の寓意」にもとづいている。日本の近代洋画史において、はっきりと五感の表現を主題とした作例は、高階氏が指摘されるように(注21)、大正5年(1916)の第10回文展に出品された南薫造の《五境》〔図3〕が最初である。画面は5つにわかれ、画面むかって右から色、声、香、味、触の、すなわち五感でいえば、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚をあらわしている。視覚は花すなわち色を見、聴覚は判然としないが、かなた背後で音楽を奏しているかに見え、それを聞く姿で、嗅覚は花の香を嗅ぎ、味覚はワインらしきお酒を飲み、触覚は赤子を抱く姿としてそれぞれ表現されている。この近代の日本洋画の明瞭な「五感」表現である南薫造の《五境》について、当時の批評は「シャバンヌ張りの悪洒落かとも思はれる」「『五境』(仏語。五感の意)には作者の詩想が歌はれてゐないで説明されてゐる」と酷評された。近代洋画において、西洋画の図像学の伝統がない日本において、人間の感覚を表現するためには、画面上に、ひとつの情感の表現が認められないならば、絵画は、観者にとってはとまどいの対象とならざるを得ない。五感表現を統一的な画面構成によって表現することは、本来、画家と観者との間に、描かれる図像と、それを生み出した文化的伝統の共有が前提となるはずだったのである。五感の表現が絵画制作の表舞台にでて、感覚というとらえどころのないものが主題-221 -

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