(2) 個別的様相となり画面上に表現されることによって、五感の表現は、黒田が日本洋画において意図したコンポジショナルな絵圃のひとつとなる可能性はあったであろう。しかし、黒田は、誰でもが、作品の前でまず理解できる、というよりもある情感の働きを感じとることができるような、そうした作品をこそ制作する必要を感じていたように思われる。そこでは、図様の内側にすべりこまされたようなあるひとつ情感の表現こそが、それが感覚にかかわるがゆえに、黒田が意図したある心持ちの働きを引き起こさせるのに十分な手助けとなるべき表現手法であったのである。こうして、五感の表現が、コンポジショナルな絵画を支える必要がなくなったとき、五感表現の感覚刺激的な役割のみが残り、その役割は、もうひとつの感覚表現の様相である個別の感覚の表現が担うことになる。近代日本洋画において、とくに白馬会、文展の作家を中心に、個別的に感覚を表現するような作品があらわれて来るのは、コンポジショナルな絵画(構想画)の頓挫とそれにともなう五感表現の同一画面上での表現の不評の中からだったのである。この典型的な姿を、白馬会、文展の中心にいて、東京美術学校西洋画科の指導者であった岡田三郎助と藤島武二について、彼らの五つの感覚を個別に表現した作品において見ることができる。岡田三郎助は、明治36年(1903)、赤松麟作の〈夜汽車》が描かれて2年後の第8回白馬会展に《花の香》〔図4〕、〈微風》〔図5〕、そして《鼓》〔図6Jなどを出品する。〈花の香》は嗅覚、《微風》は触覚、《鼓》は聴覚に関連づけられるようである。この第8回展には、藤島の楽器を奏する裸婦像《諧音》〔図7〕が出品され、楽器すなわち聴覚とのつながりをしめす。さかのぽって藤島の作品を見てみる。第7回白馬会展に〈天平の面影》〔図8〕が出品されている。この作品はけっして楽器を奏する場面ではないが、背景の金地、樹下美人図への連想など、〈天平の面影》は象徴的に音楽そして聴覚をあらわしているようである。藤島が《天平の面影》ののち、より聴覚にうったえる《諧音》を第8回白馬会展に出品していることは先述したが、同展には岡田の〈花の香》ほかの作品や北蓮蔵の《吹笛》なども出品されていた。こうして、第7回、第8回展において感覚を表現する作品があらわれてくるということは、どのような意味があるのか。と同時に、上野氏が白馬会の第3期と位置づけられたこの画期の契機は何であったのだろうか。それは、ひとつには黒田が意図した構想画の挫折がある。それと並行して同一画面-222 -
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