鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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ぷノ。白馬会の画家たちは、その後、明治40年(1907)にはじまる文展に、五感を表現しロ―――士口,希五-n 文展においては、その後、藤島、岡田につき従うかのように聴覚、嗅覚あるいは味30年代の白馬会の画家たちにとって、コランは引き続き制作の源であったのである。第7回展に展示されたコランの《詩》と《楽》の下絵は、人間の感覚を表現する先駆11〕という作品があったこともコランの導き手としての意味合いを強めるものであろ15〕、第7回帝展の〈古き昔を偲びて》〔図16〕など、感覚を想起させる作品に事欠か上の五感表現から、感覚の個別的表現への移行あるいは傾倒があった。あとひとつには、感覚の個別的表現と関連することであるが、第7回展における、ラファエル・コランの作品の紹介があるように思われる。それは具体的には〈詩》〔図9〕と〈楽》〔図10〕の下絵である。ラファエル・コランの聴覚の表現と言いうる作品が白馬会に紹介されたことは、当時の画家たちにとって、啓蒙的な意味合いがあったと思われる。コランの作品は、第3回展に〈夏の野》が展示され、日本近代洋画の風景画の成立にとって少なからぬ影響を及ぼしたことが、当時の批評などから窺い知れる。黒田がフランス留学時にはじめて見たコランの作品《花月(フロレアル)》はもとより、明治けの役割を果たしたとも考えうる。ただし、コランの音楽に関する作品としては、さきに〈夏の野》が展示された第3回展に楽器をもつ裸婦を木炭で描いた〈雅曲》〔図た作品を出品することとなる。藤島武二は、第7回文展に〈うつつ》を出品する。《うつつ》は触覚。そして第9回文展の《匂い》〔図12〕は嗅覚、第10回文展の風景画〈静》は聴覚、翌1917年の静物画〈アルチショ》〔因13〕は嗅覚、第12回文展の《草の香》も嗅覚をあらわす。この間、制作年不詳の《マンドリンを弾く女》〔図14〕など、日本近代洋画家のなかで、感覚の画家と呼ぶにふさわしい感貨をあらわした作品を、つぎつぎと世に問うている。また、岡田は明治40年(1907)、東京府勧業博覧会出品の〈紫調べ(婦人像)》〔図ないが、藤島と異なり、より色相がこまやかであり、視覚的要素に触れるところが多い。もちろん細かな筆遣いを重ねることで触覚的な効果が現出しているとも言いうるが、全体として岡田は、しばしば色彩の人と言われるように、視覚的要素が他の感覚を圧倒しているようだ。しかし一方、藤島については、そうしたひとつの感覚では言い表せないような、あえていえば五感の人とでも言いうるような感覚的な画家のようなのであった。-223 -

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