注年(]) これまで岡田三郎助の基本文集は刊行されていないが、本助成によって岡田の自筆及び談話についてのテキストを作成することができた(鹿島美術財団注)。なお、岡田の画歴にかかわる基礎資料は、「日本近代洋画におけるアカデミズムの成立ポーラ美術振興財団助成)の資料として作成している。(2) 丸山欣哉「感覚間相互作用」『講座心理学』第3巻、東京大学出版会、1969年、271頁(3) 中村雄二郎『共通感覚論』岩波書店、1979年、54頁(4) 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」杉浦明平訳岩波文庫(上)、1954年、200頁(5) 下村寅太郎『レオナルド・ダ・ヴィンチ』勁草書房、1961年、199頁(6) 田中英道『レオナルド・ダ・ヴィンチ』講談社学術文庫、1992年、164頁(7)下村寅太郎前掲書、119頁(8) ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』梃謝野文子訳求龍堂、1980年、198■199頁(9) アンリ・ペリッシュ『セザンヌ』矢内原伊作訳みすず書房、1995年、211頁社、1974年、336頁(11)中村雄二郎前掲書、63頁(12) イーフー・トウアン『感覚の世界一美・自然・文化』阿部一訳せりか書房、1994年、51頁(13) ハーナード・ベレンソン「美学と歴史』島本融訳みすず書房、1975年、68■69頁(14) 松本誠一「用語としての「写実」一明治時代ー」『佐賀県立博物館・美術館報』N0109、1995覚などに寓意されうる作品が目立ってくるようだ。人間の感覚を他の媒体によって表現することは、文展、帝展などその後の日本洋画のアカデミズムにおいて一手法となったようである。このことは、黒田が言った作品における「心持ち」を、人間の感覚を主題とすることによって、より直接的に表現できるのでないかという思慮がはたらいているとも考えられよう。近代の洋画家たちが「五感Jの表現を主題とすることは、洋画の確立にあたって、黒田清輝が意図した近代洋画の骨格のひとつである「構想画」にかかわる創造行為であったわけであるが、藤島武二、岡田三郎助らの作品に見るように、彼らの作品は、「五感」表現を避けて、いわば「一感」表現とも言うべき「五感」の個別的表現という、構想画から離れて、むしろ主観主義的とも見なされるものとなっていく。そうしたなかで、感覚を絵画的に表現するということが、近代日本洋画を構成する要素のひとつとなり、まさに近代的特質を具備した絵画を準備することになったのである。しかし、それが「近代的」であるがゆえに、かえって日本洋画のアカデミズムを成り立たせる要素としてば深まることなく、むしろ個の発揚を基本とする20世紀絵画へと橋渡しされることになるのであった。(10) R. G.コリングウッド『藝術の原理』(『世界の名著』続15)山崎正和・新田博衛訳中央公論岡田三郎助の場合] (1998年-224 -
元のページ ../index.html#233