鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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⑫ ニコラ・プッサンとその周辺のフランス人画家における古代受容の一様相1624年、30歳にしてローマに赴いたニコラ・プッサン(1594-1665)は、1630年代1980年にはブスケが膨大な一次資料をもとに彼らのローマでの足跡を明らかにした5)。研究者:国立新美術館設立準備室研究員宮島綾子にかけて、同じく故郷を離れてかの地に滞在していた同世代のフランス人画家たちと親しく交流し、彼らとともに、古代遺物、ラファエッロやテイツアイーノら過去の巨匠たち、あるいはカルラッチら前世代の画家たちの作品を学びながら、画家としてのキャリアを積み上げていった。プッサンと彼らの活動については、既に1940年代よりブラント、テュイリエらによって作品の帰属問題を中心に研究がなされ(注1)、(注2)。その後、1994年に、プッサン生誕400年を記念する大回顧展にあわせて、彼とその周辺のフランス・イタリアの画家たちの作品を集めた小展覧会がパリ、ローマで相次いで開催され(注3)、更に2000年にも同様の趣旨の展覧会がローマで開かれた(注4)。これら近年の研究動向を特徴づけるのは、1620年代から30年代のローマでプッサンらが学んだ古代美術が、各々の制作活動に、ひいては次世代の画家たちにどう受容されたのかを、彼らの主題選択や様式の傾向に着目し、当時の美術理論の展開のなかに位置づけながら、より具体的に検討した論考が増えていることである(注こうした昨今の研究の流れを踏まえて、本稿では、彼らの古代美術受容を図像的な観点から検討してみたい。まず、プッサンの初期の作品《バッコスの養育》(1627-28年頃)〔図l〕をとりあげ(注6)、そこに描かれた幼児バッコスの視覚的な着想源として、古代の作例を指摘する。次に、この古代に借りた図像が、プッサンと親しく交流していた同世代のフランス人画家たちにどう受け継がれたのか、それぞれの画家が属していた画壇の美術理論的な枠組みに照らしながら、たどってゆく。1.プッサンの《バッコスの養育》:図像伝統と視覚的源泉プッサンは、ローマに到着した1624年から1628年頃、まだ有力なパトロンがいなかったいわば修業時代に、バッコスやサテュロス、ニンフらが登場する牧歌的な神話画を数点残しており(注7)、《バッコスの養育》もそのひとつである。これら初期の神話画は一次資料に言及がないために、編年的に跡づけることが難しく、本作品も制作年を特定できないが、ほとんどの研究者が1627年から28年頃と考えていることから(注8)、本稿でもこれに従って、以下論を進める。-228 -

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