1557年にリヨンで出版された『変身物語』の版両挿絵を挙げておこう〔図2〕(注11)。まずは、画面に目を向けよう。画面左には、はるか遠くまで広がる深緑の平原と青い山々を背景にして、山羊の背に乗った小さな幼児バッコスが、背後からニンフに支えられながら、右手に進んでいる。彼らの後ろには、片手に袋を抱え、もう一方の手で杖を肩にかついだサテュロスが続いている。画面の中央を斜めに分断する太い木の幹の向こう側には、サテュロスかシレヌスとおぼしき人物がおり、画面右の狭い洞窟に歩み入れている。洞窟の手前、すなわち画面右の前景には、水辺が広がっている。画面全体は、初期のプッサンが熱心に学んだテイツィアーノの絵画を思わせる明るい金色の光に満たされ、暖かな掲色を基調にしてまとめられている。幼少期のバッコスの物語は、オウイデイウス、フィロストラトスによる神話編やノンノスの詩で語られている(注9)。それらによれば、神ユピテルの子供(バッコス)を宿した人間の娘セメレーは、ユピテルの妻ユノの策略にはまり、神としての本来の姿である雷となったユピテルの訪問を受け、焼死する。ュピテルは未熟児のバッコスをセメレーの胎内から救い出して、自らの大腿部に縫い込んで、月満ちるまで育てた。やがてユピテルから誕生したバッコスは、メルクリウスによって泉と洞窟のあるニュサ山に住まうニンフたちの手に託され、養育された、と伝えられている。ルネサンス以降の絵画や版画には、こうした文学的典拠に基づいて、バッコスの幼少期のエピソードを視覚化した作例がいくつか見出される(注10)。例えば、焼死したセメレーからバッコスを取り出して連び去るユピテルを表した例は、16世紀に数多く出版されたオウイデイウスの『変身物語』の挿絵にしばしば認められる。ここではまた、別の場面の視覚化としては、1616年にアムステルダムで刊行された『低地ドイツの詩集』中の〈バッコス賛歌〉に添えられた挿絵〔図3〕(注12)のように、幼児バッコスをニンフたちに託すメルクリウスを描いた作例がある。さて、問題のプッサンの〈バッコスの養育》は、水辺、洞窟といった周辺の情景や、ニンフやサテュロスが登場人物として描かれている点では、以上に挙げた先行作例と基本的に一致している。しかし、この絵の中心的なモチーフである山羊に乗る幼いバッコスの図像は〔図4〕、管見の限り、ルネサンス以降の絵画、版画には前例がない。先行研究のなかで、この絵の図像的な側面について言及しているのは、スタンドリングである。スタンドリングは、プッサンが、16世紀の北方やイタリアで流布した版画、すなわちデューラーやヤコポ・デ・バルバリらの版画に頻出する、いわゆる牧歌的な「サテュロスの家族」の図像伝統を受け継ぎながら(注13)、全体としてはヴェネツィア風の暖かい色調にまとめあげたと分析した(注14)。確かに、ブッサンの絵_ 229 -
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