1634年にフランスに戻ってからは、宰相リシュリューの手引きで国王付きの画家とし3.ジャック・ステラの《聖家族》における幼児バッコスの図像の転用されている(注36)。画面左には、当時ローマのジュスティニアーニ家に所蔵されていた古代彫刻から引用した、横たわる男女の石棺彫刻が描かれている〔図9〕(注37)。そして前景右端に、プッサンの《バッコスの養育》と全く同じモチーフ、すなわちニンフに支えられながら山羊に乗るバッコスが描かれている(図11〕。もう一点、個人蔵の《バッコスの養育》〔図10〕(注38)では、画面右にコンスタンティヌス帝の凱旋門に似た建築物の一部が配され、その傍にあし笛を吹き嗚らす人物がいる。画面左には、古代風の墓石を背景にして、ダブリンの絵と同じ幼児バッコスとニンフのモチーフが繰り返されている〔図12〕。以上二作品とも、ルメールはプッサンの《バッコスの養育》から、そのままにモチーフを借用したと考えられてきた。しかし、もう一歩踏み込んで考えるなら、ルメールが二度にわたってこのモチーフを扱ったのは、プッサンの幼児バッコスの図像の背後に古代美術の参照があることを理解していたからではないだろうか。ダブリンの〈バッコスの養育》の画面にとりわけ端的に示されているとおり、現存する古代遺物に加え、古代についての著作や理論書をも参照しながら、今は亡き古代をより正確に蘇らせることにこそ、ルメールの真髄があった。彼にとって、古代に借りたプッサンのバッコスは、より精緻な古代情景の再現を補完する格好のモチーフであったに違いない。ジャック・ステラ(1596-1657)は、1596年にリヨンの画家一家に生まれた。1619年頃にイタリアに赴き、1623年から34年までローマに滞在している。ローマでは、プッサンはもちろんのこと、ジャン・ルメールとも交流があり、1633年には三名とも、アカデミア・デイ・サン・ルカのフランス人画家のリストに記載されている(注39)。てルイ13世に仕え、繊細で優美な人物表現、艶やかな表面の仕上げなどを特徴とした神話画や宗教画で名声を博した。しかし18世紀以降は忘れ去られ、彼の多くの絵画や版画がプッサンの名で売却されることとなる。ローマ滞在中にプッサンとの親交を深めたステラは、フランス帰国後も彼との書簡のやりとりを欠かさなかったことから、プッサンの生涯を通じて最も親密な友人のひとりであったとされる(注40)。またプッサンが、ステラにあてて八点もの絵画を描いていたことからも(注41)、二人の親交の厚さが伺い知れよう。ところで、ステラがフランスに戻った1635年は、ちょうど、フランスの美術理論に-232 -
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