鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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1630年代以降にフランスに流布した古代遺物の版画集を引き続き調査することで、手リストに、ニンフを聖母に、山羊を仔羊に置き換えれば、ほぼステラの構図となることが分かる。更に、上述したカメオと石棺〔図5、7〕に戻ってみると、どちらの古代作例にも、振り返りながらバッコスを先導する人物が表されており、そのポーズと配置の仕方には、ステラの絵で仔羊を引く洗礼者ヨハネとの類似が見てとれる。この点に着目するなら、ステラはプッサンだけでなく、こうした古代作例を直接参照していたようにも思われる。残念ながら、稿者は、1627年から28年頃にローマで描かれたプッサンの《バッコスの養育》のモチーフが、ほぼ20年後の1651年のパリにおけるステラの絵に取りこまれたという仮説を裏付けるような状況的・資料的証拠を、本稿で提示するには至れなかった。しかし翻って、1650年代のパリの画壇では古代とラファエッロを規範として簡潔さと優美さを結びつけた表現が指針となっていたことに鑑みるなら、ステラには、古代作品そのものからであれ、プッサンの《バッコスの養育》を介してであれ、この図像を借用する理由は充分にあったと想定できよう。つまりステラは《聖家族》において、古代とラファエッロをひとつの画面に結びつけんがために、古代に借りたバッコスとニンフを、ラファエッロが得意とした聖母子の姿に重ねつつ、優美なラファエッロ風の味付けで画面全体を仕上げたと考えられるのである。以上、プッサンの《バッコスの養育》における古代美術からのモチーフの借用を指摘し、ルメール、ステラにおけるこのモチーフの共有を確認するとともに、その転用のありようを、それぞれの属する画壇と美術理論の枠組みに沿って検討した。プッサンの絵および古代とステラの絵とをつなぐには、確固たる裏付けを欠くことは否めないが、これに関しては、1640年から42年にルーヴル宮装飾事業のためにフランスに一次帰国したプッサンが以降のパリ画壇の理論と実践の双方に及ぼした影響、およびがかりを得たいと思う。略号BM= The Burlington Magazine GBA = Gazette des Beaux-Arts TIB = The Illustrated Bartsch LIMC= Lexicon Iconographicum Mythologiae Classicae Bnf = Bibliotheque nationale de France -234 -

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