⑳ 奈良時代後期における大字写経の研究——善光朱印経を中心として一一0研究者:九州大学大学院人文科学研究院芸術学講座助手はじめに写経は、字義通り経典を書写することで、日本では天武二年(673)、川原寺での一切経書写を初見とし、その行為は現在に至るまで続けられている。なかでも奈良時代の仏教は、国家の擁護の下に発達したこともあり、写経事業も、天皇、皇后の発願に基づくなど国家との大きな関わりを有している。写経制作においては、字句の校正が厳密になされると同時に、その文字も厳選された能筆の写経生により美しく統一されており、経典としての内容とともに書跡としての高い質を誇っていることが特徴といえるであろう。現在、数多くの奈良朝写経が伝存しているが、これらは奈良時代の書跡においてはもちろんのこと、日本書道史を考える上でも貴重な作品群といえる。しかしながら、これまでの奈良朝写経研究は、個別の写経が各々の様式的な側面から述べられるにとどまっており、その全体像を明らかにしてきたとは言いがたい。これは写経事業自体の意図や目的を考慮しないまま、各々の写経が系統づけられることなく研究がなされてきたためであると思われる。しかし、歴史学研究の成果により、近年明らかになりつつある写経機構の実態と、そこで書写された文字の形を考えあわせるならば、奈良朝写経の全体像を体系的にとらえることが可能となり、歴史的にも美術史的にもより具体的で明確な奈良朝写経研究が確立できるものと思われる。本研究はその一つの試みである。善光朱印経(以下、朱印経とする)〔図1〕は、奈良時代後期に制作された一切経のうちの一つである。一切経は、一部が五千巻にもおよぶ仏典の一大叢書であり、奈良時代20部を越える一切経が制作されていたといわれている。そのなかでも、ここで研究対象とする朱印経は、尾題の下に「善光」という朱印が捺されているところから、「善光朱印経」と呼称される。朱印経は各地に約30巻が現存しており、それらの奥書に、天平勝宝八歳(756)から天平宝字四年(760)までの書写の日付があることから、朱印経はこの間に制作されていたことが確認できる。朱印経は、奈良時代中期に制作された五月一日経〔図2〕に比べ、筆線が太く、字粒の大きい堂々とした楷書で書写されていることから、奈良時代後期写経の代表的遺品といわれる。この他には、文字の大きな大字写経の代表的なものとして、大字法華経、註榜伽経などがある。これら-243 -川上貴子
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