鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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(1) この点については、次の拙稿を参照していただければ幸いである。IMAI Yi.iko, "Changes in French Tastes for Japanese Ceramics", JAPAN REVIEW, Journal of the International Research Center for Japanese Studies, Number 16, 2004, pp. 101-127. (2) その代表的なものが、フランスのシャンティー市にあるコンデ美術館に現在も所蔵されているブルボン家コンデ公のコレクション(柿右衛門様式の磁器)、およびフランスのヴェルサイユにあるグラン・トリアノン所蔵のマリー・アントワネットによるコレクション(古伊万里様式の磁器)である。(3) これについては、拙稿(今井祐子「1878年パリ万博と日本陶磁器のようにして芽ばえたか頁)を参照。(4) アーレンス商会は、1873年に横浜店、1880年には神戸店を開設しており、美術工芸品の輸出や染料・薬品・機械の輸入を主な業務としていた。(5) 宮島久雄「ビング一族の来H記録」『ジャポネズリー研究学会会報』2、1993年、29-33頁。宮島久雄「サミュエル・ビングと日本」『国立国際美術館紀要』1、1984年、3-14頁。(6) "Rapport general sur le port de Hiogo, Kobe, 18 aout 1879", Fonds Correspondance consulaire et commerciale, Kobe Vol. 1, dans Documents sur le Japon du Ministere etranger de la France. Archives Nationales (France), CHAN (Centre Historique des A. N.), AE/B. 尚、フランス外務省日本関係文書については、そのコピーが横浜開港資料館に所蔵されている。(中山裕史「フランス所在の横浜・日本関係資料調査報告」『横浜開港資料館紀要』第6号、昭和63年3月を参照。)(7) 宮島久雄「サミュエル・ビングと日本」『国立国際美術館紀要』1、1984年、3-14頁。(8) 塩田力蔵「陶磁工芸の研究』アルス社、1927年、354頁。このワグネルは、日本の工芸品製造に西洋の化学技術を導入して近代化を進めるかたわら、それらの工芸品に見る日本独特のよさを広く海外へ宣伝することに尽したことで知られている。またワグネルは、1870年に肥前の有田で磁器窯を改良するなど、工芸品の中でも特に陶磁器の分野において目立った活躍をしていた。よってこの分野に関してワグネルは、とりわけ様々な助言を与え得たはずである。(9) 高村光雲『光雲懐古談』萬里閣書房、1929年、136頁。(10) 高村光雲、前掲書、142頁。(11) 当時のさまざまな文献においてこのウィンクレルは、ヴィンクラー、あるいはベンケーなどと当時の人々が訛って発音していた呼称で表記されている。(12) 中ノ堂一信翻刻「明治前期の京都窯芸史料」『資料館紀要』第9号、京都府立総合資料館、1981年3月、31-82頁。(13) 幹山伝七は、彦根藩主井伊直弼の命により、1857年から62年にかけて湖東焼(滋賀県)で藩のお抱え陶エとして作陶に関わった後京都へ移り、京都では先のワグネルの指導を受けて、西洋絵具の試用や石炭窯を築くなどして京焼の近代化に努めた陶工である。また奥村は、近江国の犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市)に生まれ、当地の城主であった井伊家の陶器窯に5年間奉)王〔表2〕に纏めたが、同社の活動については、今後更なる調査が必要であろう。日本の茶陶への関心はど」[国際文化学』第6号、神戸大学国際文化学会、2002年、1-21 -269 -

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