⑳ 奈良時代における地方造像に関する研究地方に現存する十一面観音を素材として研究者:山梨県教育委員会博物館建設室学芸員近藤暁子はじめに奈良時代、仏教への信仰が盛んとなり、それとともに多くの造像が為されたことは、諸記録、また、現存する作例からも明らかである。しかし像を必要とした環境、中央との影響関係など、地方における造像の様相は、未だ不明な点が多い。本論では、以上の点を明らかとするために、地方に伝わる数少ない天平仏である、福井県多田寺および和歌山県円満寺に伝わる十一面観音像を素材として考察する。これら二像には、後述するように、中央作例との共通点と相違点が混在することから、その制作に当たっての、造形的な「型」の存在と、その変容が想定される。では、そのような「型」がどのように地方にもたらされ、そして実際の造像の場で消化されたのか。これらの像を生み出し、また、受容した環境について、おもに『日本霊異記』等の考察から復元し、奈良時代の地方造像をとりまく環境の一端について、述べたいと思う。1 造形的特色の確認ー造像における「型」の存在多田寺はその創建が奈良時代に遡り、さらに若狭最古の木彫像を伝える寺院である。現在は須弥壇上に薬師如来像を中心に、十一面観音像、菩薩像の三尊を安置している。さて、十一面観音像だが〔図1〕、檜の一木造りにして、頂上面はじめ、数面は失われているものの、頭上に十一面をあらわし、右手を垂下し、屈腎した左手に持物を執る、通形の姿である。直立した姿勢、左右相称に処理された衣や衣紋は古様な表現であり、衣の両端を鋭角的に処理し、現塔等をすべて本体より彫出するなど、小金銅仏あるいは檀像の写しではないかと指摘され(注1)、制作時期については、寺伝に薬師如来三尊を天平勝また、服制の随所に法隆寺金堂壁画の十一面観音像〔図2〕との類似点が指摘できる。両肩から垂下した天衣が急激に絞られる点、右手前膊の天衣の懸かり方、腹前の2条の布などがそうで、共通した図像を元にした制作との想定もなされている(注3)。耳がやや前向きに付けられ、上膊の腎釧が前向きにあらわされる点、腹前の2条の布宝3年(749)とあるのを参考にしてよいのではと思われる(注2)。-274 -
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