⑰ リポイ、サンタ・マリア修道院聖堂のトランセプト—平面型におけるサン・ピエトロ旧聖堂の影響と空間表象について_977年に献堂された第三聖堂、1032年奉献の第四聖堂の造形的起源は、平面型におい2.第四聖堂の平面型と研究史既存の第□聖堂に増改築を施し、1020年頃から1032年に掛けて建設されたリポイ第四聖堂は、当時としては珍しい五廊式のバシリカ式聖堂である〔図l〕。身廊部は、研究者:横浜美術短期大学非常勤講師小倉康之1.序リポイのサンタ・マリア修道院聖堂は、わずか150年のうちに4度も献堂された。最初の献堂式は、888年、シャルル禿頭王の家臣、バルセロナ伯ギフレの下で行われた。ピレネー山脈の南東部に位置するイスパニア辺境領、後のカタルーニャは、元来、フランク王国の複数の伯領から成る一地方である。カロリング朝時代のカタルーニャは、フランク王国、後には西フランクを介して北イタリアと連なり、ロンバルデイア建築から影響を受けたと考えられる。だが、ロンバルデイアのエ匠が王国内を頻繁に行き来していたのは9世紀から10世紀半ばくらいまでだったのではないだろうか。フランク王国は分裂し、10世紀のヨーロッパは、異民族の侵入によって疲弊していた。ノルマン人とサラセンの海賊は、北イタリアからカタルーニャヘと至る陸路、海路の自由な往来を妨げ、旅の安全を脅かした。したがって、筆者は、リポイにおいてロンバルデイア様式の直接的な影響が見られるのは、第一聖堂、あるいは935年に献堂された第二聖堂までであったと推察する。ては「ローマの初期キリスト教バシリカ」、立面においては「カタルーニャ独自の建築伝統(注1)」に求めるべきであろう。本稿では、リポイ第四聖堂の平面型に着目し、これがサン・ピエトロ旧聖堂に代表される「ローマ式平面型」を採用したものであることを裏付ける。その上で、第四聖棠のプランが「ローマ教皇との密接な関係を顕示し、カタルーニャの独立という政治的ヴィジョンを表す」という独自の説を提示する。おそらく977年に献堂された第三聖堂から引き継がれた(注2)。11世紀前半、オリバ修道院長によって増築、ないし改築されたトランセプトは、七つの祭室を有する大規模なものであり、身廊に対して直交し、T字型に配された。これは、分節されずに一つの空間を構成する「貰通型」のトランセプトである〔図2,3〕。-282 -
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