3.貫通型トランセプトと三分割型トランセプトR.クラウトハイマーによれば、初期キリスト教時代のバシリカに挿入されたトランセプトは、以下の四つのタイプに分類される(注8)。A:貫通型トランセプトB:三分割型トランセプトD:簡略化された十字型トランセプトタイプC、およびDは、主として東方に分布し、リポイとの直接的な影響関係はなかったと推察される。そこで、まず、タイプAとBに関するクラウトハイマーの見解をまとめ、その上に立脚してリポイとローマの関わりを述べる。タイプBの起源は、ミラノのサンタ・テクラ〔図6〕、もしくはギリシアである。トランセプトは普通、言つに分節され、交差部と南北の袖廊に分かれる。このプランにおいて、信徒が自由な立ち入りを許可されるのは、身廊および側廊までである。交差部は聖職者のために他の空間から区別され、南北の袖廊は聖職者と信徒とを媒介する空間となる。聖職者と信徒とが接近する必要がある場合、信徒は側廊から袖廊へと導き入れられ、交差部の聖職者と向かい合う。しかし、信徒が交差部に立ち入ることは許されていない。袖廊と交差部は円柱列やアーチによって分節され、異なる色の床などで空間の位階秩序が示される(注9)。一方、タイプA、すなわち貰通型トランセプト〔図4〕は、タイプBとは明らかに異なる宗教上の機能を有していた。この平面型は少なくとも二つの宗教上の機能を有する。ミサが行われる場合には、トランセプトは聖職者の領域となり、聖なる空間として身廊や側廊と区別される。しかし、通常は殉教者を記念する霊廟空間となり、信徒は自由に巡回することができた。こうした二重の宗教上の機能は、可動式の祭壇によって可能となり、ミサの際には前方に、普段はアプシス付近に主祭壇が置かれることとなる。このタイプは、4世紀前半、ローマのサン・ピエトロ旧聖堂を起源とし、4世紀後半から5世紀前半に建設されたサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂〔図8〕へと受け継がれた。その後、一旦系譜が途絶えるが、カロリング朝時代に復興され、フルダ、パーダーボルン、ゼリゲンシュタットなどに遺構がある(注10)。確かに、ミラノのサンタ・テクラは五廊式であり、リポイのプランとの共通性が認められる。しかし、ミラノでは三分割型トランセプトが採用されており、リポイとは宗教上の機能、空間表象が異なる平面型だと思われる。リポイの貰通型トランセプトは、ローマのサン・ピエトロ旧聖堂に起源を求めるべきであろう。カロリング朝時代c:十字型トランセプト-284 -
元のページ ../index.html#293