4.サン・ピエトロ旧聖堂との比較は38.74m:36.99m= 1 : 0.95 (36.99mは37.04mと36.94mの平均値)である。サン・ピ15)、サン・ペレ・デ・カセレス修道院聖堂〔図10〕にはそもそもトランセプトがなにサン・ピエトロ旧聖棠の平面型を模したと考えられる建築は、しばしば献堂記録に「ローマ式moreromano」と記され、貫通型トランセプトの起源がローマであることを明らかにしている(注11)。リポイ第四聖堂も、後述するように、献堂記録によってローマとの結びつきが示唆され、「ローマ式平面型」を導入した作例の一つだと言うことができる。次に、筆者によるリポイ修道院聖堂の実測値を、サン・ピエトロ旧聖堂のデータと比較し、両者の直接的な影響関係を論ずる(注12)。ローマ式の平面型を用いたカロリング朝建築では、三廊式の身廊部と貫通型トランセプトが直交する。791年から819年に建設されたフルダ修道院聖棠〔図7〕がその典型である。身廊が三廊式であるという点でサン・ピエトロ旧聖棠とは異なるが、「貰通型トランセプト」を採用している点では一致している。トランセプトの長辺を1とすると、フルダ修道院聖堂の身廊は0.72となり、9世紀前半に建設され、1037年の火災後に再建されたヘルスフェルト修道院聖堂は0.84となる(注13)。両者とも、身廊よりトランセプトの全長の方が長い。サン・ピエトロ旧聖堂〔図4〕の場合、トランセプト南北方向の内法は87.80mであり、これを1とすると身廊の全長である90.94mは1.04、およそ1: 1の比例関係となっている。ただし、貫通型トランセプトの南北両端部には、円柱によって分節された拡張部分(エクセドラ)がある。トランセプトの復元に関しては、16世紀のわずかな古素描が手掛かりとなるのみであるが、両端のエクセドラはトランセプトの霊廟空間を拡張し、祭壇や石棺を置く目的で作られたものであろう(注14)。この部分を除いて考えると、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂のプラン(図8〕とほぽ相似形となり、トランセプトと身廊の全長の比は、63.72m: 90.94m、即ち1: 1.43となる。リポイ第四聖堂〔図1〕では、トランセプトの南北方向の内法と身廊の全長との比エトロ旧聖堂と同様、約1: 1の比例関係であることに注目したい。他方、同時代の作例であるカルドーナ、サン・ビセンス聖棠〔図9〕の場合には1: 1.29であり(注い。以上の比較から、以下の仮説が導かれる。リポイ第四聖棠は七つの祭室を有するが、第三聖堂は献堂記録(注16)によって五祭室であったことがわかる。仮に、第三聖堂-285 -
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