鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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1-3.笠の上の冠くから紹介されてきたが、平安末期において、的と矢がどのような意味を有していたのかを調べつつ、改めてこのかざりが意味するところを考えてみよう。矢が縦方向に刺さっている形状は、的を吊る紐の役割を矢で代替して、笠と的との連結に実用性を有している。紐で吊るされた的は、『男袋三郎絵詞』などにおいて見ることができる〔図5〕。この〔図5〕に見えるように、的場の背後には築山が作られたことが少なくないが、風流傘の突起部分は、的の背後に位置してはいないものの、形状から類推して、築山に見立てられた可能性がある。的は、『年中行事絵巻』巻四の騎射および賭弓の場面において見られるように、宮廷行事においても用いられたが、平安時代においては、民家の破風に描かれることがあった。『信貴山縁起絵巻』延喜加持の巻、勅使が信貴山に向かう途中に見える山中の民家の破風には、的が描かれている〔図6〕。このように的が描かれた家は、『粉河寺縁起絵巻』第五段、および『一遍上人絵伝』巻ー、肥前国清水の華台上人の寺の前の民家にも見ることができる〔図7,8〕。『一遍上人絵伝』は、『年中行事絵巻』より少々時代が下り、また的が破風に直接描かれるのではなく、屋根の庇らしき部分に立てかけられているという違いがあるものの、これらの行為は、いずれもその家が、神事や祭事を宰領する家であることを示すものとして指摘されている(注4)。民間における正月の行事には、百手や歩射など、村の者が集まって的射を行う行事があったことが知られている。百手祭は、部落または家筋の代表者が、200隻の矢を射て神前で勝負を争う行事である。一方、歩射は、矢を射て悪魔を祓い豊作を祈る行事であり、大的を射れば吉とされていた。これらの民間行事の的射の意味は、宮廷行事である騎射および射遺にも通底していると言われている。風流笠のかざりも、的に矢が刺さっていることにより、歩射などの行事における吉祥の意味を担うものと考えられる。的と矢もまた、酒瓶と同じく、神事に由来する可能性が高いものである。風流笠の中には、笠の上に別種の被り物の形を作ってかざりとするものが見られる。例えば〔図9Jの例では、巻櫻を施した冠を笠の上に作っている。〔図9〕は、祇園御霊会馬長の一行における供奉人の一人であるが、同様のかざりを施した笠を被る人物は、稲荷祭にも見ることができる。このようなかざりは、これまで見てきた例のように、神事に直接関わるというよりは、同じ被り物でありながら、別の形象を表すことによって、そこに遊戯性を見いだしているものと考えられる。同時に、非日常的な祭の場の笠において、日常の冠を形-294 -

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