鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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『年中行事絵巻』(田中家蔵住吉本,縦45.3X全長679.4cm(巻十一),1196.6cm(巻十二))刷複製年中行事絵巻』古典芸術刊行会,1959年『年中行事絵巻j(京大本,縦約48cm,全長未詳)店,1968年『男袋三郎絵詞』(東京国立博物館蔵,縦29.2X全長1253.7cm)男袋三郎絵詞・伊勢新名所絵歌合』中央公論杜,1978年『信貴山縁起絵巻』延喜加持の巻(朝護孫子寺蔵,縦31.7X全長1290.8cm)巻大成4信貴山縁起絵巻』中央公論社,1977年『粉河寺縁起絵巻』(粉河寺蔵,縦30.SX全長1984.2cm)小松茂芙編「日本絵巻大成5粉河寺縁起』中央公論社,1977年『一遍上人絵伝』巻ー(歓喜光寺蔵,縦38.lX全長1113.9cm)一遍上人絵伝』中央公論社,1978年久安6年(1150)藤原頼長、稲荷社に初の奉幣久寿元年(1154)藤原頼長、稲荷祭の延引にもかかわらず、強引に幣や神馬を奉る保元2年(1157)内裏造営保元3年(1158)内宴復興(長元7年(1034)以来廃絶)承安2年(1172)後白河院、祇園御霊会のために神輿三基・獅子七頭を寄進、みずからも祭を見承安3年(1173)最勝光院隊子絵成立(承安2年の御幸・行啓を絵画化)行幸・行啓、さらに祇園御霊会のような祭の行列も含めて、当代の都の行事全体を記録しておこうとする、記録画制作の大きな動きの一環であるという点である。先行する行事絵•四季絵・月次絵などの絵画において、内宴や相撲節会と並列して記されることのなかった祇園御霊会や稲荷祭の様子を同じ絵巻に記録し、盛大に行われた行事を網羅的に描写していることから、後白河院時代の行事絵の制作動機は、単なる復興記念ではないという面から、考察し直すことが必要であろう。『年中行事絵巻』における〈異装〉の描写は、後白河院の時代における一連の行事絵制作の中で登場してきたものであり、祇園御霊会や稲荷祭を記録する絵画の登場そのものもまた、都におけるあらゆる神事、遊戯を含めた行事を網羅的に描こうとする動きの面から、考えねばならないものと言うことができる。図版出典後白河院の時代における行事とその記録画関連略年表後白河天皇、馬上役制度を確立相撲節会復興(保安3年(1122)以来廃絶)『仁安御誤行幸絵巻』七巻および『保元城南寺競馬絵巻』成立物し、馬長なども出すよう近臣に勧める-297 -「日本絵巻物全集24年中行事絵巻』角川書小松茂美編『日本絵巻大成別巻『縮小松茂美編『日本絵巻大成12小松茂美絹『日本絵

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