鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
325/598

1 : Athen, Nationalmuseum, 38; 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 25.(競)〔図5〕2 : Athen, Nationalmuseum, 4474; 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 26.(競)3 : Athen, Nationalmuseum, 2687; 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 27.(競)〔図1)4 : Athen, Nationalmuseum, 2825; 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 29.(競)5 : Athen, Nationalmuseum, 35; 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 30.(他)6 : Athen, Kerameikosmuseum; 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 31.(競)〔図6〕7 : Athen, Nationalmuseum; 560-550 v.Chr.; Jantzen, AA 1963, 43lff. Abb. 1 ff. (意竜)8 : New York, Metropolitanmuseum, 12.158; 560-550 v.Chr.; Richter, N. 33. (交意)9 : Berlin, Saatliche Museen, 1899; um 560-550 v.Chr.; Richter, Nr. 51. (党党)りたい。今述べた事実から、この問いを「何のために墓碑図像としてペンタトロン選手の姿が表されたのか」と言い換えることができるだろう。ペンタトロンに含まれる競技は多岐にわたるため、ここで勝利するには、敏速さ、しなやかな身のこなし、力強さといった、様々な能力が求められる。つまり万能選手でなくてはならない。そのような選手の身体は、必然的に、どの筋肉も適度に発達し、均整の取れた美しいものになろう。奇しくもアリストテレスが次のように述べている。“oi冗tvm訊01kauし16て01,6てl冗pospiav kai冗pos泣xos&μa匹⑱双血VKて入(青年においてはペンタトロン選手が最も美しい。というのも敏速さと力強さ、双方に長けているからである。)”(注12)こうして槍投げや円盤投げをする人物、つまりペンタトロン選手に付随するイメージが浮かび上がってきた。すなわち、一、体育のトレーニングに従事することのできる、比較的社会的地位の高い市民階級の出身であること、二、新たに競技会を持ったアテネ市民を代表する姿であり、アテネ市民の誇りを体現する存在であること、三、誉れ高い姿、そして四、若く美しい理想的な身体の持ち主であること。つまりペンタトロン選手の姿は、青年の理想的な姿であるといえる(注13)。大パナテナイア祭における連動競技会の創設をきっかけに、アテネ人は若者に相応しい墓碑図像を発見したといえる(注14)。この新しい墓碑図像は時流に乗って大流行したが、やがて前550年を過ぎる頃から変化が現れる。運動選手を競技者として表すよりも、人物像にアリュバロスを持たせることにより、単に体育を行う者として表すようになった。この新傾向は前500年頃から人物像墓碑の制作が行われるようになった小アジアやキュクラデス諸島のギリシア諸都市に受け継がれ、運動選手墓碑の新しい伝統として定着していった。アルカイック時代のアッティカの運動選手墓碑一覧(競)=競技用具を持つ図像、(ア)=アリュバロスを持つ図像、(他)=その他、あるいは不明-316 -

元のページ  ../index.html#325

このブックを見る