鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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10 : Athen, Nationalmuseum; 550-540 v.Chr.; ADelt 29, 1973-72, B 1, Chronika, 44, Taf. 52b.(競)11 : Athen, Nationalmuseum; um 540 v.Chr.; ADelt 29, 1973-72, B 1, Chronika, 44, Taf. 53a.(ア)12 : New York, Metropolitanmuseum, 11.185., Berlin, Staatliche Museen, 1531; 540-535 v.Chr.; Richter, Nr 37.(ア)13 : New York, Metropolitanmuseum, 42.11.36; um 530 v.Chr.; Richter, Nr. 52.(他)14 : Athen, Kerameikosmuseum; 530-520 v.Chr.; Richter, Nr. 58. (f也)15: New York, Metropolitanmuseum, 15.167; 510-500 v.Chr.; Richter, Nr. 61. (1也)16 : Athen, Nationalmuseum, 3892; um 500 v.Chr.; Richter, Nr. 76. (登克)注(以下、欧文献の表記方法はドイツ古典考古学研究所の定めるものに従うこととする。)(1) 線刻によって人物が表されたベルリン、ペルガモン博物館A2はこの作例より古く、前575年頃に年代付けられるが、人物の頭部のみを留める断片であるため、ここでは比較対象にはならない。(2) 前500年頃以降、前430年頃までのアッテイカの人物像墓碑がほとんど出土していないという事実から、前500年頃に葬礼に関する奢1多禁止令が発布されたために制作が中断したのではないか、との見方が現在優勢である。(3) アルカイック時代のボイオティアの墓碑におけるアッテイカの影響についてはG.M. A. Richter, Archaic Gravestones of Attica (1961); W. Shild-Xenidou, Bootische Grab-und Weihreliefs archaischer und klassischer Zeit (1972)に詳しい。(4)例えばSchmaltz,Griechische Grabreliefs (1983)。(5) 前566/65年説については、Eusebius,Chron. zu 01. 53, 3 ; Marchellius, Vit. Thukyd. 3、前561/60年説についてはSchol.Aristides XIII 189, 5。(6) L. Ziehen, RE 18, 2 (1949) 459, s.v. Panathenaia. (7) A. Shapiro, Art and cult under the tyrants in Athens (1989) 20. (8) W. Decker, Sport in der griechischen Antike (1995) 41. (9) Decker, a.O. (10) Hom.I!, 23, 897ff. (11) M. Bentz, Panathenaische Preisamphoren (1998) 69. (12) Aristot. Rhet. 1, 5, 1361 b 10. (13) アリストテレスは前注に指摘した箇所に続けて、壮年男性の理想像として、力強さや退しさを挙げている。このことから推測すると、唯一の髭を蓄えた運動選手像が力強さを要するボクサー像は、壮年男性の理想を表したものであるとも考えられる。しかし、このボクサーの図像については、職業人表現という見解もあるため、項を改めて論じたい。(14) 当時のアッテイカの墓碑には、青年や壮年の人物像が多く、老年者の例はない。また、若くして他界した息子や娘のために親が建立したことを伝える銘文も数多く発見されている。これらのことから、当時のアッテイカでは、若い死者に比較的豪華な墓を立てる傾向があったことを古くから研究者たちが言及している。最近ではN.HimmmelmannがAttischeGrabreliefs (1999) 12で指摘している。_ 317 -

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