⑫ シャガールのアメリカ時代—改変された作品をめぐって_研究者:青森県文化観光部文化振興課美術館グループ学芸員はじめにロシア生まれのユダヤ人の画家マルク・シャガールは、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため、1941年6月から1948年8月までの約7年間をアメリカで過ごしている。このアメリカヘの亡命期は、シャガールの長い人生の中でも波乱の多い時代の一つと言える。シャガールにとって、創作の霊感源であった故郷ヴィテプスクは、彼がアメリカにたどり着いた途端に、ナチス・ドイツの手によって焦土と化した。そして、数年後には、もう一つの重要な霊感源であった最愛の妻ベラが亡くなる。こうした激動の時代にもかかわらず、この期間のシャガールの活動については、初期のロシア時代やパリ時代に比較すると、アメリカという土地の芸術的環境が及ぼした創作への強い影響や注目すべき様式の変化などが見られないゆえに、深い研究の対象となることはなかった。だが、シャガールがひたすら自らの内面に潜むイメージを追い求め続けた画家であることを考えた時、彼の身にふりかかった出来事が、どのように当時の創作と結びついているかを分析することは、この画家の本質を考察する上で、重要な意味をもっているのではないだろうか。アメリカヘの出国に際して、シャガールはそれまでに制作した油彩画や素描などの大部分をヨーロッパから持ち出している。シャガールについて最も包括的な研究を行ったフランツ・マイヤーはその重量が3500ポンド(1600キログラム近く)に及んだと伝えている(注1)。アメリカでシャガールが熱心に行ったのは、こうして持ち運んだ過去の作品の内、一旦仕上げてはみたものの、納得のいく出来に達していないものに、再び手を加えることであった。そのため、アメリカ時代に完成された重要な作品には、1930年代から断続的に制作され続けてきたものが多く含まれる(注2)。本稿では、先に挙げた同時代の出来事を念頭に置きつつ、手を加える以前の状態が、習作や資料などにより明らかな二つの作品群について、アメリカ時代にどのような改変を加えられているかを分析することで、画家がその時々の自らの体験とそれに伴う内面の動きを、いかなる形で創作へと反映させていったかを見ていきたい。高橋しげみ-325 -
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