鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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マルク・シャガール」(注6)[ 1 ]《抵抗》(1948)、《復活》(1948)、〈解放》(1952)シャガールが初めて取り組んだ大規模な政治的主題の作品に《革命》がある。1937年に一旦完成をみたこの作品は、縦が約168cm、横は約300cmの大作の油彩画だった(注3)。シャガールについて詳細な伝記を著したシドニー・アレクサンダーによると、この油彩画は1940年のパリのメ画廊での個展に〈コンポジション》というタイトルで出品された(注4)。1942年10月にニューヨークのピエール・マティス画廊で開催された個展に出品された時は、《革命》というタイトルに変わっていた(注5)。同展のチェックリストのタイトルの脇には1937-1941年という年代が記されていることから、メ画廊での出展以降もシャガールはこの作品に手を入れ続けたことがわかる。ピエール・マティス画廊での展覧会の際には、イデイッシュの共産主義の新聞「自由の朝MorgnFrayhayt」紙に展評が掲載され、その中ではとりわけ《革命》の油彩画が賞賛の的となった。この記事に対する感謝の気持ちをこめ、シャガールが「自由の朝」紙に宛てたイデイッシュ語の手紙には、《革命》とこの作品に加えられたその後の改変を考える上で、興味深いいくつかの事実を読み取ることができる。「ニューヨーク、1942年11月7日親愛なる友へ、《革命》の油彩画に対するあなた方の感想に感謝しております。この絵画はロシア革命の25周年記念として制作されたようなものです。私は祖国から一度たりとて切り離されたことはありません。私の芸術はそれ無しでは生きることのできないものであるし、また、他のいかなる国にもとけ込むことはできません。そして、かつて造形芸術の都であり、世界中のあらゆるアーティストが出向いたパリが死んだ今、私は時折、自らに問いかけます。いったい自分はどこにいるのか、と。私はソヴィエトにいる友や、作家やアーティストの同胞たち、そして前線に在る赤軍の英雄というさらに偉大なるアーティストたちに心から敬意を表します。彼らが自らの血をもって、生命の革命という最高の、もっとも美しい絵画を描きあげることを希望し、またそのように確信しています。そして、私たち平凡な芸術家や民は、それを鑑賞し、称え、その光の中に生きなければならないのです。シャガールはこの手紙の中で、1942年がロシア革命25周年にあたることから、〈革命》には、それを記念する意味が込められていると述べているが、前述したように、-326 -

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