(1943)と、1930年代末からアメリカ時代にかけてシャガールが描いた戦争の悲劇と1930年代末から画家の心の中を支配し続けてきた同時代の出来事を直接的に反映した読み取ることができる。《革命》がそうであるように、再び主題は政治的色合いを帯びたものだが、それはものとなっている。シャガールがこの作品に再び手を入れ始めた時には既に、ナチス・ドイツの敗北とともに、第二次世界大戦は終わりを告げ、人々は暗い過去の記憶を引きずりつつも、新しい時代へ希望を見出しはじめていた。シャガールが悲劇的な主題のみではなく、悲しみを克服した後に訪れる勝利と幸福という前向きな主題に展開させることができたのは、こうした世の中の気運を反映してのことである。《革命》と比較し、これら三点は、それぞれ構図上の名残はとどめるものの、色彩やモチーフを大幅に改変することで、まったく異なる雰囲気の作品に変わっている。なかでも注目すべきは、〈抵抗》と《復活》という二つの作品において、傑刑のイメージが中心的な位置を占めていることである。これまでも指摘されてきたことであるが、シャガールの作品には、1930年代の後半以降、ナチス・ドイツのユダヤ人に対する脅威が高まるにしたがって、傑刑のイメージが頻繁に登場するようになる。しかも、そこに描かれるキリストが、当時迫害の憂き目をみていたユダヤの民を想起させるように、ユダヤ人としての特徴を強調して描かれる。1938年の《白い傑刑》〔図5〕にはじまり、《殉教》(1940)、〈黄色い傑刑》いう主題における傑のキリストの多くは、腰にタリスと呼ばれるユダヤ教の礼拝用肩掛けを巻きつけることで、自らのユダヤ人としての出自を明示する。シャガールは《抵抗》と〈復活》においても、やはりタリスを身にまとった傑刑のキリストを描くことで、三つの絵画における展開を、迫害に対するユダヤ人の戦いと、その勝利の物語として読み解くべきものとしている。シャガールが〈革命》を三つに切り裂いて破壊したのは、作品としての完成度への不満があったからばかりでなく、ロシア革命から30年近くも経たその時点で、もはやこの歴史的事件の現実感が彼の中で失われつつあったからだろう。当時のシャガールの内面は、ロシア革命にまさるインパクトをもった出来事に、大きく支配されていたのだ。シャガールはこの三連作において、革命の指導者レーニンをユダヤの民の指導者キリストに変容させながら、革命の意義を問い直す主題の作品を、先立つ数年間に自らを含むユダヤの民が直面してきた困難と試練そして勝利への歩みを謳いあげる主題の作品へと改変した。-328 -
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