鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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(注12)。〈彼女をめぐって》に描かれた逆さまの頭部をもつ画家の姿は、これら一連ている。シャガールはそれまでもしばしば自画像を描いているが、1945年から1948年にかけては特に、自画像ないしは自らを重ね合わせた画家の肖像を数多く描いている。この時期のものとして、マイヤーのモノグラフだけでも7点の作例が挙げられているの自両像と関連づけられる。中でも、同年の1945年に制作された《町の魂》〔図10〕における画家の姿は、《彼女をめぐって》の逆さまの頭部という特異な表現の解釈の鍵を与えてくれる。《町の魂》で、イーゼルの前にいる画家は二つの顔をもつ。一方はキャンヴァスに向いており、他方はキャンヴァスとは反対側を向き、緑色に塗られている。この緑の顔が見ているのは、花嫁衣装を想わせる白い衣服を身につけ、煙のような姿をとった死後のベラだ。ここでのベラは、もはや肉体さえもたず霊気と化している。シャガールは、このベラや背景に描かれたヴィテプスクなど、過去の記憶を霊感源として制作を続ける自らの姿を、頭部の後側にもう一つの顔をもつ二面像として表している。《彼女をめぐって》の回転した頭部は、霊感を得る瞬間の芸術家の姿という意味で、この二面像における緑色の顔とほぼ同じ役割を担っており、その霊感源とは、ここでもやはり水晶球に描かれた故郷ヴィテプスクの町であり、また側にいるベラであった。画家の像とは反対側に、〈緑衣のベラ》〔図11〕は934-35)から抜け出してきたような姿のベラが描かれる。このベラは、背筋を伸ばし気丈な様子で描かれた《サーカスの人々》のベラとは打って変わって、気弱な様子で、片方の手で涙をぬぐうような仕草をとり、深い悲しみに彩られている。これまでのシャガールの作品では、この世の女性を象徴する存在として、偶像のように無表情で描かれることの多いベラが、彼女の死後に描かれた作品の中で初めて人間的な感情を見せながら再現されていることは興味深い。シャガールの亡き妻に対する深い哀悼の念が、そして彼女が遠く離れた世界から自分のことを思っていて欲しいという強い顧いが、このような表現をとらせたのだろう。両面右上に残された、山羊が抱えていた花束には、花嫁姿の女性とそれを抱きかかえる男性の姿が加えられている。シャガールの中で、ベラはいつしか花嫁というもっとも輝かしい姿のまま凍りついてしまっていた。シャガールにとって女性はベラであり、ベラはすなわち花嫁であった。このモチーフもまた、水晶球のヴィテプスクと同様に、シャガールの過去の美しい記憶を形作るために貢献している。こうして、すべては過去の追想とベラの死の哀悼という意味合いのもとに、ヴィテ-330-

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