鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
341/598

注(1) Franz Meyer, Marc Chagall, H. N. Abrams, New York, 1964, p. 432.マイヤーは「すべての絵画、素ほとんどは潜在的なもので、自分の身内に潜む何か神秘的なものを表現したいという、押さえ難い要求から生まれてきたものである。それらを彼は豊かな主題の蓄えの中から気の向くままに自由に取り出して、様々に組み合わせをしては、その都度新たに使っていたのである。しかし、時には、戦争やユダヤ人の虐殺に刺激を受けた悲劇的な作品や、ベラの死後彼が描いたメランコリックな一連の作品のように、実際に起きた出来事やそのときの彼の心理状態に、かなり意識的に影響されることもあった。」(注シャガールは、とりわけ1930年代以降、ほとんどいかなるテーマの画面も、画歴の初期に描き出したモチーフを引用しつつ構成している。しかし、それらの引用されたモチーフは、その時々の画家の体験や心情に応じて自由に変更が加えられ、まった<異なった應味を担ったものにさえなる。シャガールは自らの創作について語るとき、「化学(シミ)」という言葉を好んで使っていた。物質間の相互作用や、外からのさまざまなエネルギーの働きかけによる物質の変化の謎を解く化学。ある特定のモチーフが相互に影響しあい、そして時に内面の激情という強いエネルギーが加えられることで、一つのモチーフに別の意味が与えられたり、異なる形態に変化したりといった経過をたどるシャガールの創作は、確かに一種の「化学」的メカニズムをもっている。激動のアメリカ時代に改変を受けた作品の分析は、そうしたシャガールの創作の「化学」へ迫るものである。(c.1934-47)、《妻に》(1933-44)、《赤い馬》(1938-44)、〈秋の村》(1939-45)、《空飛ぶアトラ描と習作のポートフォリオの入った、しめて3500ポンド(1600kg近く)に及ぶスーツケースとトランク」と記しているが、アンドレ・シャステルは「800ポンドに達し、点数は500点に及んだと推定している」(シドニー・アレグザンダー「マルク・シャガール』、加藤弘和訳、芸立出版、1993年、p.352.)。(2)本稿で論じた百点の作品に加え、〈天使の墜落》(1923-33-47)、《花束と飛ぶ恋人たち》ージュ》(1945)、〈夜に》(1943)、《緑の目》(1944)などが主要なものとして挙げられる。この内、福岡市美術館蔵の《空飛ぶアトラージュ》については、後小路雅弘氏がX線による調査結果などを踏まえた改変の分析を行っており、本稿の執筆にあたって多くの示唆を得た。後小路雅弘「I空飛ぶアトラージュ』の見えない絵ーマルク・シャガールの一九四五年ー」、『デアルテ」第六号、1990年、pp.33-46. (3) ニューヨークのモーガン図書館のヒエール・マティス・アーカイヴには、シャガールがピエール・マティス画廊で行ったほぼすべての個展のチェックリストが保存されている。1942年10月の個展のチェックリストには〈革命》のサイズが66X121inch(約167cmX約307cm)と記され-332 -14)

元のページ  ../index.html#341

このブックを見る