ている。これは現存する《抵抗》、〈復活》、《解放》を合わせた時の、縦及び横のサイズとほぼ一致する。(4) シドニー・アレグザンダー『マルク・シャガール』、加藤弘和訳、芸立出版、1993年、p.347. (5) シャガールがピエール・マティス画廊で行った1942年の個展のチェックリストによると「マルク・シャガール絵画とグアッシュ」というタイトルで、10月13日から11月7日まで開催された。同展には、3点の油彩画と13点のグアッシュが出品されており、リスト中1番が《革命Revolution》となっている。(6) Benjamin Harshav, Marc Chagall and His Times, Stanford University Press, Stanford/California, 2004, (7) ibid., p. 521 (8) ibid., pp. 509, 985.この日付は最近のハルシャフによる移民・帰化部局の調査により明らかになったものだ。したがって、これまで一般的にシャガールのアメリカヘの到着日として知られていた6月23日は誤りということになる。(9) マイヤーは、三分割された時期を1943年としているが(Meyer,op. cit, p. 490)、この点についてはヴァージニア・ハガード(ヴァージニア・ハガード『シャガールとの日々』、中山公男監修、黒田亮子訳、西村書店、1997年、pp.100-101.)の記述により信憑性があるようだ。ハガードは、彼女のイギリス人の女友達が遊びにきた際に、アトリエの壁に掛けられていたこの作品を目にし、観る者を混乱に陥れるような「まごっつかせる」絵画だと述べたことが、シャガールにキャンヴァスを切り裂くことを決断させたと伝える。(10) ヴァージニア・ハガード、前掲書、p.8. (11) チェックリストによると、1946年にかけて開催されたこの個展には、21点作品が出品され、3番に《町の魂I'ame de la ville》が、19番に《彼女をめぐってAutourd'elle》が名を連ねている。(12) Meyer, op. cit, Classified Catalogue no. 776-782. (13) Meyer, op. cit, Classified Catalogue no. 615. (14) ヴァージニア・ハガード、前掲書、p.38. p. 522. [付記]本稿の執筆に際し、アメリカ時代におけるピエール・マティス画廊でのシャガールの展覧会資料の調査については、モーガン図書館(ニューヨーク)の御協力をいただいた。-333 -
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