鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
346/598

⑮ ローマ、ラテラーノ洗礼堂と付随礼拝堂群の機能と装飾1.後期古代の洗礼堂建築群研究者:お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期はじめにローマにはいまだ紀元後3世紀に建造されたアウレリアヌスの市壁が巡っているが、その南東部分の市壁の僅か内側、つまり異教時代の都市ローマにおける中心地から見れば、「町外れ」にあたる場所に、ローマの司教座聖堂であるサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖棠と洗礼堂が建っている〔図1〕。この「最初のキリスト教皇帝コンスタンティヌスが自ら関わった」、「キリスト教世界の中心地ローマ」の洗礼堂は、比較的オリジナルの状態についで情報があり、その重層的に積み重ねられた変遷が読み取れる希少な作例である。筆者は、そのサン・ジョヴァンニ・イン・フォンテ洗礼堂(以下ラテラーノ洗礼堂)と付随礼拝堂を対象とし、それらの機能と装飾を検討する。ラテラーノ洗礼堂建築群は、プラン〔図2〕からもわかるように、その核となる八角形の集中様式の洗礼堂本体を中心に各礼拝棠が取り巻いている。現存する八角形の洗礼堂は、教皇シクストゥス3世(在432-440)以前には遡らないという説もある(注l)。ジョヴェナーレやペリッチョーニによる発掘において、すでに八角形の壁体の土台となる円形の華礎部分の存在は確認されていたが、ブラントらによる近年の発掘により(注2)、その八角形の建物自体は、現存するものが最初にして唯一の建築であることが明らかになり、教皇列伝に記されたように(注3)シクストゥス3世は既存の建物に改変を行ったのであり、建物自体はおそらくコンスタンティヌス帝によって4世紀初めに建てられたものであろうという説も唱えられている。シクストゥス5世の都市の再整備計画において、1588年に取り壊されたサンタ・クローチェ礼拝堂を除き、2つのアプスを持つ玄関の間、洗礼者と福音書記者の2人のヨハネのための礼拝堂(前者は18軋紀に大規模に改変されてしまったが)、サン・ヴェナンツィオ礼拝堂が現存している。玄関の間はシクストゥス3肌の時代に帰され、2人のヨハネのための礼拝堂とサンタ・クローチェ礼拝堂の3つは教皇ヒラルス(在461-468)の時代に建てられた。そしてダルマティア出身の教皇ヨハネ4世(在640-642)によって建てられたのが、ダルマティアの殉教聖人たちに奉献されたサン・ヴェナンツイオ礼-337 -米倉立子

元のページ  ../index.html#346

このブックを見る