2.八角形の洗礼堂建築拝堂である。中央の洗礼堂は、中央に洗礼槽を備えていたが、配水施設を備えた八角形の建築というのは、人が水と関わる空間を提供するという点で、テルメやニュンファエウムと共通している。実際ラテラーノ洗礼堂が建てられる以前に、その地には3世紀のセウェリウス帝時代に遡る2つの浴場施設があり、洗礼堂もそうした既存の施設の構造を再利用したのである。4世紀初め以降、デイオクレティアヌス、マクセンティウス、コンスタンティヌスらのテルメに見られるように八角形の部屋は典型的な形式となり、ラテラーノ洗礼堂の建造第一期がコンスタンティヌス帝時代まで遡るのであれば、両者は同時代の建築である。テルメとラテラーノ洗礼棠は、共に皇帝サイドがイニシアテイヴを執って建造した点も興味深い。シンボリズムの観点から八角形の洗礼棠建築を見る場合、葬礼のシンボリズムと絡めて考えるべきである。教父たちによる8の数の神学的解釈は、創造からの第8日目、一度終わった一週間が改めて始まる再生の日というものであり、洗礼は死と復活を象徴的に体験する儀式だからである。キリストの死と復活に与る儀式である洗礼の意義を説いた使徒パウロの言葉(注4)は、東方では4世紀にすでに広まっていたが、西方では4世紀以降になって浸透したとされ、クラウトハイマーは5世紀になってこのシンボリズムが洗礼堂建築に反映しだすとしている(注5)。建築的にも皇族たちのマウソレウムは歴史的に集中式建築であり、スパラトにあるデイオクレティアヌス帝の八角形のマウソレウムをはじめ、コンスタンティヌス帝の娘、コンスタンティアの廟として建てられた周歩廊を伴うローマのサンタ・コスタンツァ教会の例などがある。こうした過程において、洗礼堂建築も生まれる素地が出来たといえよう。このように配水施設を必要とし、罪ある現世の身を一度聖水に浸ることで埋葬し、キリスト教徒として新たに再生・復活するというシンボリズムを担った、洗礼という儀礼のための建築である洗礼堂は、機能としても独特な建物であり、その役割を装飾も反映していた。ラテラーノ洗礼堂建築群において、中心部の八角形の建築には後期古代の装飾要素はあまり現存していないが、教皇列伝のシルウェステル(在314-335)の項には、洗礼槽の縁に水を注き込む金や銀の彫像が設置されていたと記されている。さらに洗礼槽の中央には、斑岩製の円柱があり、それらは1644年から45年の間にはまだあったことが確認されている。槽の縁に置かれた金銀の彫像は10あったとされ、そのうちの8つから水が注がれた。-338 -
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