鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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4.サンタ・クローチェ礼拝堂1588年に取り壊されたサンタ・クローチェ礼拝堂は、教皇ヒラルスにより洗礼堂の15mを超えない小規模なギリシャ十字形を基本としている。中央部はクーポラがかか杖に寄りかかって立つ2人の羊飼いと家畜などが憩う牧歌的な風景が描かれていたことがわかる。詳細は不明だが、短いトゥニカを着た典型的な姿の羊飼いが、おそらく羊と思われる家畜と牧歌的風景の中で休息するという構図は、信徒を導く善き羊飼いとしてのキリストという文脈におけるキリスト教美術に限らず、それ以前から死後の安寧を願う葬礼美術の典型的なモティーフとして普及していた。さらに、この玄関の間の壁面は、多色の大理石で構成された繊細で優美なオプス・セクティーレで装飾されており、それらは断片的に現存している〔図8〕。この質の高さは、古代の高度な職人技術が継承されていることを感じさせる。全体的にこの玄関の間の装飾は、優美かつ繊細であり、意味的にニュートラルなモティーフが多用され、古代からの技術やモティーフが途切れることなく継承されてきたことを自ずと示している。古代から広く描かれてきたモティーフを基調に、洗礼棠の玄関の間という役割において、キリスト教的コンテクストヘの読み替えを行い、洗礼の恩寵をもってこそ永遠の魂の楽園に憩うことが出来ることを表象する図像が展開していたのであろう。北西側に建てられた(注7)。この礼拝堂は、その名の通り、聖十字架の断片を聖遺物とし、それを宝石で飾られた金の聖遺物箱に納めており、プランは建物の両端がり、その周囲には4つの矩形のニッチと四隅を占めるように小さな六角形の小部屋が交互に配されていた〔図9〕。建物全体が聖なる十字架の断片を納める、聖遺物箱としての機能を果たしていたといえよう。ブラントは、この礼拝堂は堅信礼の際に聖油の塗油を授けるために使われていたと考えている。受洗者らはラテラーノ洗礼堂で洗礼を、そしてこの礼拝堂で改めて堅信礼を授かるのである。素描における記録では、内部の壁面はオプス・セクティーレで覆われており、礼拝堂中央部の四隅の壁面上部にモザイクで玉石飾りの十字架が描かれていた。十字に交差する中央ヴォールトでは4人の天使が聖十字架を掲げ、その下に、窓の脇に対となった使徒や殉教者が各面ごとに描かれていた。パンヴィニオによるとそれぞれの面に描かれたのは、ペテロとパウロ、福音書記者と洗礼者のヨハネ、ラウレンティウスとステファヌス、ヤコブとフィリッポである。ペテロとパウロはローマで殉教し、使徒の筆頭の2人として重要なローマの守護聖人である。2人のヨハネは、洗礼者に関し-340-

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