③ 風俗研究家・吉川観方のコレクションの意義と特質近世小袖の今日的価値の礎—3)のひとつとして、平成14年、「日本最大級の風俗収集品吉川観方と京都文化」研究者:京都文化博物館学芸員藤本恵子はじめに吉川観方(明治27年〜昭和54年)は、その生涯において約10万点(注1)ともいわれる膨大な風俗資料を蒐集した人物である。それらは、日本の近世から近代にいたる各階層の人々が、生活のあらゆる場面で使ってきた衣裳・装身具・人形・調度をはじめ、洛中洛外図などの近世初期風俗画や肉筆浮世絵、浮世絵版画など、広い分野の細かな種類にまで及ぶ。現在国内の公立施設(注2)に所蔵され、所在が明らかになっている総数としては約3万点近くにのぼり、他に類を見ない一群となっている。筆者の所属する京都文化博物館は、国内でこのコレクションを運用する博物館(注展(注4)を開催し、広く公開してきた。(以下展覧会)ただ、彼のコレクションでは、幽霊・妖怪画については、その特異性という点から注目を浴びることはあったが、風俗資料全体に及んでは、単に歴史的背景を語る上での補助的な装置に過ぎず、資料の重要性に注目されることが少なかったといってよい。しかし近年、女性のきものが日本美術史に組み込まれていく過程についての研究が行なわれ(注5)、あるいは庶民の生活用具にも新たな価値を見出す動き(注6)もあることから、吉川の風俗資料の再評価に取り組む意義を感じ、今回の助成金をきっかけに新たにコレクションの中核をなす染織資料について整理し検証することとした。本稿では、吉川観方の蒐集方針の大きな要因となった画家としての着眼点と、蒐集した近世小袖類について彼が行なった年代判定の方法を検証することによって、小袖資料の価値形成においてどのような影響を及ぼしたのか、その過程への照射を試みるものである。蒐集の動機と方針は、時代によっても立場によっても様々ではあるが、吉川の場合、彼が画家であったことの要素が最も大きく作用しているといえる。当時彼の周辺にいた木村斯光ら同時代の画家たち(注7)もその審美眼で質の高い蒐集活動を行っていた。そうした環境の中で、画家の美的判断が蒐集品にどのように反映したかということを検証していくために、この章では、まず当時蒐集の対象として最も多数を占めて第1章画家としての着眼点-26 -
元のページ ../index.html#35