鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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ては、5世紀半ばに洗礼者の聖遺物が「再発見」されたことを記念する意図とともに、この礼拝堂が洗礼堂に近接して建てられることから、他方、福音書記者は奉献者である教皇ヒラルスが、エフェソスの福音書記者ヨハネ教会において危機から守られ助けられたという事跡により、守護聖人として感謝を込めて崇敬していたことから選択されたと考えられる。この2人に対して、ヒラルスは各々に礼拝堂を個別に奉献していることからも、教皇にとり2人のヨハネは突出した立場だということがわかる。ラウレンティウスとステファヌスに関しては、2人とも助祭であり、殉教者である。前者はローマで殉教し、ローマで特別な崇敬の対象となっていた。後者は最初の殉教者であり、ラウレンティウスと対で描かれることが多いのだが、この礼拝棠の例が体系だった装飾プログラムにおけるその最初の例だとされている。ヤコブとフィリッポは同じ日が祝日で、東方では対となって彼らの名で教会奉献されることがしばしばあり、ローマにおいてもサンティ・アポストリ聖堂は、そもそも彼ら2人に対して奉献されたものであり、その聖遺物が祭壇の下に納められている。ローマ第一の洗礼堂に近接して、教皇ヒラルスにより建てられた、この聖十字架を納める礼拝堂にふさわしい聖人たちがそれぞれ選択されたといえよう。2人のヨハネに捧げられた礼拝堂は、シンメトリーを打ち出すという建築的、象徴的意味の他、洗礼の前後の着替えの部屋として使われたのではないかという用途についての説もある(注8)。洗礼者(サン・ジョヴァンニ・バッティスタ)礼拝堂は、ェリスタ)礼拝堂とともに修復されているが、1727年に内部を楕円形プランに建てかえられ、基礎部のレベルもすでに存在しない。しかしながら1570年のパンヴィニオの記述や17世紀末のチャンピーニの素描によれば、洗礼者礼拝棠は福音書記者礼拝堂と同じ十字形のプランを持っていたことやモザイクで装飾されていたことが分かる〔図〔図11〕。両者ともに、ヴォールト中央に植物の冠の中のニンブスをつけた神の子羊が表されている。福音書記者礼拝堂のモザイクでは、その冠が月桂樹、ユリ、麦、葡萄という四季を象徴する植物からなることがわかる。洗礼者礼拝棠のヴォールトモザイクは、幾何学的に帯状装飾で区分けされており、中央の子羊の区画を支えるかのように、対角線上に孔雀を土台にカンデラブラが配されている。そしてその周りの三角形の空間5.洗礼者と福音脅記者の2人のヨハネのための礼拝堂1597年にはまだクレメンス8世により福音書記者(サン・ジョヴァンニ・エヴァンジ10〕。福音書記者礼拝堂には、現在もヴォールトに当初のモザイクが現存している-341 -

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