_ 350 -①『賢愚経』巻第六(北魏.慧覚等訳)(注10)時富那奇。倶輿其兄。雛足供養。各特香櫨。共登高棲。遥向祗担。燒香蹄命佛及聖僧。唯願明日。臨顧刷國。開悟愚朦盲冥衆生。作願巳詑。②『禅秘要法経」巻下(後秦・鳩摩羅什等訳)(注11)手翠香櫨。至四城門外。燒香散華。登大誓願。而作是言。世間若有神仙聖人醤師呪師。能救我子狂乱病者。③『華厳経探玄記』巻第八(唐・法蔵述)(注12)以左手撃此金輪。右手執香櫨。右膝著地而発願言。若是輪賓不虚應如過去転輪聖王所行道去。作是誓巳。史料①は、富那奇が兄とともに各々香炉を持ち、愚朦盲冥の衆生を開悟できるようにと祈願する場面であり、史料②は、手に香炉を睾げて、我が子を狂乱の病から救ってくれるように大誓願を発している場面であり、史料③は、右手に香炉を執り、右膝を地につけて、すなわち互脆の姿勢で発願をしている場面である。以上のように、香炉を手に執りながら祈願、誓願、発願など‘‘願い’'を述べている点が注目される。そもそも、‘供養すること'と‘願うこと'とは密接に関係していたと考えられ、たとえば法会などで本檸を供養した後にはほとんど必ず願文が読まれるものであるし、また南円堂で弘仁八年(817)から行われた藤原内麻呂の忌日を結願日とする法華会(注13)の場合にも、本尊を供養することと内麻呂の冥福を祈願することはほとんど切り離せないものであったとみられる。ではなぜ祈願、誓願、発願する時に柄香炉を手に執ったのか、である。先述のように、柄香炉は焼香用の仏具であり、焼香による香気・香煙は三千大千世界や十方界といった法靡まで遍<至り、法靡のありとあらゆる仏菩薩を供養できるという優れた効力があった。とすれば、柄香炉を手にした人は、焼香による香気・香煙によって法界の仏菩薩とつながることができたといえよう。言い換えれば、柄香炉から生じた香気・香煙によって人間界と法界とが結ばれ、その結果として柄香炉を手にした人ば法界の仏菩薩と通信することができた、ということであろう。つまり柄香炉とは、今日でいう‘‘通信機器”の役割を果たしていたと考えられる。そうであればこそ、仏菩薩に向けて願いや誓いなどの文言を発する時に柄香炉を執ったのではなかろうか。次に、日本の奈良時代における香炉の記述もみておきたい。いずれも香炉の使用法のうかがえる史料である。
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