鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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①『日本書紀』皇極天皇元年七月庚辰(二十七日)の条庚辰、於大寺南庭、厳佛菩薩像四天王像、屈請衆僧、讀大雲経等。子時、蘇我大臣、手執香櫨、焼香発願。辛已、微雨。⑤『日本書紀』天智天皇十年十一月丙辰(二十三日)の条丙辰、大友皇子、在於内裏西殿織佛像前。左大臣蘇我赤兄臣・右大臣中臣金連・蘇我果安臣・巨勢人臣•紀大人臣侍焉。大友皇子、手執香櫨、先起誓盟日、六人同心、奉天皇詔。若有違者、必被天罰、云々。(下略)⑤『法隆寺伽藍縁起井流記資財帳』(天平十九.747年)講説寛高座只怜奉而大御語止為而大臣乎香櫨乎手撃而誓願豆事立勺勺之久七重費号図常也人賓毛非常也是以遠岐須賣呂岐吋卸地乎布施之奉良久波御世御世体毛不朽滅可有物止令毛播磨國佐西地五十万代布施奉(下略)史料④と史料⑤は『日本書記』にみえる香炉に関する記事であり、前者では、蘇我大臣が雨乞いを発願する時に手に香炉を執っており、また後者では大友皇子が左大臣蘇我赤兄臣らと心を同じくし、天皇の詔を承ることを誓う時に手に柄香炉を執っている。史料⑤は、『法隆寺伽藍縁起井流記資財帳』の縁起部分にみえる有名な聖徳太子の講経説話の記事であり、ここには蘇我大臣が誓願する時に手に柄香炉を敬げ持っていたことが記されている。このように、日本の奈良時代の文献中に香炉の記述を求め、その使用法のわかるものをみてみると、そのほとんどが祈願、誓願、発願と関係しているのは誠に興味深い。先述のように、柄香炉は従来、仏や菩薩などを礼拝する時や、密教の修法においては啓白の時に手に持つものなどと言われてきた。法会などでは確かに三礼や啓白の際に手に柄香炉を執ることが多いのも事実である。三礼とは、仏法僧の三宝に帰敬する敬礼文を唱えて三度礼拝することを意味し、具体的には「自饉依佛、常願・衆生、艘解大道、登無上意(一礼)、自蹄依法、嘗願衆生、深入経蔵、智隷如海(一礼)、自飩依僧、嘗顧衆生、統理大衆、一切無凝(一礼)」などと唱えながら三度礼拝することである(注14)。ここに挙げた敬礼文は旧訳『華厳経』巻六浄行品によるものであるが、傍点を付した箇所にみるように礼拝しながら願文を唱えているのは注意される。また中世の諸文献によると、三礼は施主または亡き者の福利を祈願する「呪願」の時に同時に行われていたことから(注15)、礼拝することと‘‘願”とは密接に関わり合っていたと考えらえる。さらに、啓白とは表白と同義に用いられ、心中の所願等を仏菩薩等聖衆に申し述べることという(注16)。とすれば、啓白もまた“願”と関係深いも-351 -

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