鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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児願.•三麓共起、左右相封、冗西、三東、進著礼盤共三證注(3) 『大日本仏教全書』興福寺叢書1、仏書刊行会(8) 清水乞『仏具辞典』(東京堂出版、昭和53年)10頁(11) 『大正蔵』15巻、263b(1) 藤岡穣「興幅寺南圃堂四天王像と中金堂四天王像について(上)(下)」(『国華』1137• 1138、平成2年)(2)持物に関しては、当初像のことを記した『七大寺巡礼私記』(保延六年・1140)南円堂条に「皆持香炉」とあることから、少なくとも供養僧形の持物は柄香炉であったと考えられている。坐勢に関しては、拙稿参照。小野佳代「興福寺南円堂法相六祖像の坐勢について一その意義と創建当初像との関係ー」(『美術史』第156冊、平成16年)(4) 『大正蔵』39巻、660a(5) 『大正蔵』16巻、342c(6) 『大正蔵』7巻、44c(7) 『大正蔵』15巻、695a(9) 中村元綱著『図説仏教語大辞典』(東京書籍、昭和63年)106頁(10) 『大正蔵』4巻、395a(12) 『大正蔵』35巻、257b(13) 『典福寺縁起』南円堂法華会条(『大日本仏教全書』寺誌叢書3、仏書刊行会)(14) 密教辞典緬纂会『密教大辞典』(法蔵館、昭和6年)842頁、龍谷大学編纂『仏教大辞典』(冨山房、大正3年)1768頁(15)『興福寺年中行事」「江家次第』『大乗院寺社雑事記」など中世の文献を検討すると、呪願と三礼の儀式は以下のように一緒に記されていることが多いことから、この二つの儀式は同時に行われていたと考えられる。①『興福寺年中行事』三俣戸(藤原房前)御忌日事皆参之後講讀師登高座次唄次散花花枝置之次講経論義芸認次冗願三礼讀経之後退散畢.... 三禍呪願ノ井懺法呪願皆立冴子之。若乍居呪願ストモ。香櫨必可取也。(16) 密教辞典編纂会『密教大辞典』(法蔵館、昭和6年)437頁たのである。これは言い換えれば、平安時代後期という時代には、柄香炉を持って脆<供養形の像と相師像とが厳密に区別されなくなり、供養像までもが祖師像とみなされるようになったことを意味しよう。このような時代的背景の中で、供養僧形四躯が本来もっていたであろう、‘内麻呂の冥福を祈願するための供養像’としての意味は忘れられてしまったのかもしれない。新たに‘法相宗の六祖師’という意義をもつ像として再出発していったのである。② [江家次第』巻第五二月園宗寺最勝會事③ I阿娑縛抄』第九之二曼荼羅供末-354 -

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