鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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—如来像の吊り袈裟表現を中心に一一⑮ 山東地域における西方様式の受容に関する研究研究者:早稲田大学非常勤講師村松哲文はじめに中国で制作された如来像の着衣法は、インドから伝わった通肩、偏担右肩、それに中国で考案された褒衣博帯式(菟服式、紳帯式、双領下垂式)が通例であった。この変遷については、岡田健・石松日奈子両氏および吉村怜氏によって詳細な研究がなされている(注1)。一方でこのような着衣法が見られる中、報告者は6世紀後半に確認されるようになる着衣法、すなわち衣の瑞を吊り上げる袈裟表現に着目した。また、報告者は調査研究を進めてゆく過程で、袈裟を吊り上げるという表現が中国の一部の地域に集中しているという事実に直面した。本報告では、袈裟の端を吊り上げるという表現の出現が如何なる意味をもつのか考察したい。一鉤紐式の袈裟表現仏像がまとう衣は袈裟といわれ、サンスクリット語のka領yaの音訳で、汚れて濁った色という意味である。袈裟の種類には、安陀会、鬱多羅僧、僧伽梨の三衣がある。この三種類は、袈裟の条数や大きさによって区別されるもので、本報告では概括して袈裟と称することにする(注2)。通常、仏像の着衣法は、僧侶が袈裟をまとうのと同様の方法を採用している。すなわち両肩を被う通肩、左肩に袈裟をまとい右肩をあらわにする偏担右肩である。これらは前者がガンダーラ起源、後者がマトウラー起源とされ、この他に中国起源とされる褒衣博帯式といわれる着衣法があり、南北朝期の中国では概括すればこの三種類の着衣法がおこなわれていた。そして隋代になると、袈裟の端を吊るという形式が出現したようである(注3)。身体にまとった袈裟の端を吊り上げ、左腹部で紐で結ぶ表現は、管見のかぎり特に山東地域で散見される。たとえば、神通寺四門塔の四仏、雲門山石窟第一窟の中尊、馳山石窟第二窟の中尊、龍洞石窟の如来像、龍興寺址出土の如来像などがあげられる。これらの如来像は隋代の制作になるもので、中国国内では比較的早い作例として注目される。唐代なると、神通寺千仏崖の諸像をはじめとする山東地域の造像のほか、龍門石窟賓陽洞中尊、敦燒石窟第ニ一七窟に描かれた如来像などがあげられ、山東地域以外の-359 -

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