二山東地域における鉤紐式の袈裟先述したように鉤紐式の着衣法は山東地域で多く確認できる。そして報告者は、山東地域の仏教造像を調査してゆく過程で、特に神通寺四門塔内に造られている四体の如来像に注目した。四門塔は神通寺境内の東南に位置しており、その創建年代は、かつて関野貞氏や荊三林氏によって指摘されたように、以前塔内に残されていた武定二年(544)銘の造像記から、東魏時代と考えられていた(注7)。しかし近年大改修が施工された際、塔内上部から発見された「大業七年(611)造」と刻まれた銘文と、心柱内部から見つかった舎利容器の中に隋代の五鉢銭が入っていたことから、現在では四門塔の制作は隋代と推定されている(注8)。なお本仏塔は、中国に現存する石造の塔のなかでは最も古い作例である。四門塔は、高さ15.04メートル、幅は四面とも7.4メートルあり、塔身は長方形の青石を積み上げており、単層方形を呈している。軒は五段の持ち送り式で、塔頂は石板を二三段に積み上げて宝形をなしている。この塔の特徴である相輪部は、笠部が数重の段型に表され、その四隅に突起状の隅飾りが造られており、その上に相輪をあしらった、いわゆる宝筐印塔形につくられている。四門塔の相輪部は、かつて杉山信三氏や村田治郎氏が指摘したように、中国における宝箇印塔の祖形となる作例であるという(注9)。杉山氏によれば、相輪上部の段形はインドにおける卒塔婆の伏鉢が円蓋簡化されたからという。また段形は、堪造あるいは石造の場合にあらわれるのであり、隅飾の直立形も填または石造であるから形ができたと推測している。宝筐印塔の形状は、多分にインドの影響を受けていると考えられており、こうした形状の塔が山東地域に造られたことは注目に値する。塔の四面にはドーム形の門がもうけられており、このことから宋代以来「四門塔」と呼び習わされてきた。塔内には、中央に一辺約2メートルの方形の柱がつくられ、その四方に幅1メートル程の基壇がおかれ、東西南北に像高140センチメートル程の如来坐像が一体ずつ安置されている〔図1• 2 • 3 • 4〕。四体の如来坐像の制作年代については、従来四門塔の再建年代と同じく隋代と考えられてきた。報告者も基本的には隋代の制作と考えているが、興味深いことは四体各々の袈裟の着衣法である。それは東西南北に安置される四体のうち、東・南・北面の如来像三体は袈裟の端を、紐を用いて左腹部で吊り上げていることである。一方、西面の如来像は、袈裟を両肩からまとい胸前をあけて、胸元に帯を結んでいる、いわゆる褒衣博帯式の着衣形式と-361 --
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