⑯ サッビオネータ公爵ヴェスパシアーノ・ゴンザーガ(1531-1591)の公的寝室—太陽崇拝と王権表象の結合――-1554年から1579年にかけて、ヴェスパシアーノ・ゴンザーガ・コロンナ(VespasianoGonzaga Colonna, b. Fondi, 6 dec.1531-d. Sabbioneta 26 feb. 1591)はサッビオネータに16世紀の人文主義的教養をもった建築家たち、アルベルティやフィラレーテ、フラン1577年には皇帝ルドルフニ世から公爵領として認可を受ける重要な宮廷都市を形成し1500-32)と母イザベッラ・コロンナ(IsabellaColonna, d. 1570)の嫡子として産まれ、研究者:千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程望月由美子ある彼の城塞を中心に都市拡張事業を開始する。星型多角形城壁、迷宮的な道路網の考案、公共および個人建造物を包摂した居住区整備など、稀に見る総合的なー大プロジェクトとして遂行されたこの都市計画は、ウイトルウィウスの原則に基づき、15、チェスコ・デイ・ジョルジョ、ダニエーレ・バルバロ、ピエトロ・カタネオ等が各々の建築論で提唱した理想都市の具現を目指したものであった〔図1〕け8世紀後半のサッビオネータの都市図)(注1)。サッビオネータは、マントヴァの南西およそ31km、ポー河中流域の農業地帯に建設された北イタリアの極小宮廷のひとつである(注2)。マントヴァのゴンザーガ家の傍系であるヴェスパシアーノが初代君主としてその地を治め、小都市でありながらもマドリッド、プラハ、ブリュージュ、ナポリ王国と国際的政治ネットワークを築き、た。初代公爵のヴェスパシアーノは、1531年に父ロドモンテ(LuigiRodomonte Gonzaga, 青年期を叔母ジュリア・ゴンザーガの教育のもとナポリ宮廷で育ち、1568-77年にかけてスペイン王フェリペニ世に雇用され、1585年には同王から金羊毛騎士団員に任命された人物である。また、その優れた軍事的功績から、フェルデイナンドニ世、マクシミリアンニ世、ルドルフニ世の三代の神聖ローマ皇帝にも仕え、その間、教皇領、スペイン、北アフリカ等にてさまざまな軍事工学知識および築城の高い専門知識を身につけていった(注3)。本報告論文は、このヴェスパシアーノの寝室を分析し、そこに中世以来の王権表象に深く関る太陽崇拝との関係性が認められること、また、ルネサンスから絶対主義宮廷文化への過渡期の様相を示すひとつの典型例であることを示すものである。現在、ヴェスパシアーノの寝室に関する一次史料は、ミラノのブライデンセ国立図書館に所蔵されている手稿のNicoloDoniの年代記(1580-1600;一部散逸状態)から-369 -
元のページ ../index.html#378