のみ知ることができる(注4)。当時、ヴェスパシアーノは軍事用のサッビオネータ城塞Roccadi Sabbioneta (18世紀末に破壊)にある彼の寝室を通常眠るための寝室として使用しており、特別な来賓が都市を訪れた際にだけ、政治的居城であるパラッツオ・ドゥカーレ(1554-68,1577-)の「公爵の寝室」を開いてその来賓の滞在室とし使用した。つまり、後者はヴェスパシアーノ自身の寝室というよりも寧ろ、来賓歓待目的の半ば「公的な」寝室であり、本稿ではこの特別な政治目的から設えられた寝室を取り上げて分析していきたい。ードの中央部にある三階建て階段ピラミッド型建物の最上階という、まさに宮殿内の「頂点」ともいうべき特権的な場所に位置しており、ヴェスパシアーノの寝室を置くために建設された中央塔のなかに設けられていた〔図2〕(パラッツォ・ドゥカーレ正面図、サッビオネータ)。PeterThorntonの分析にある通り、15、16世紀イタリア都市権力者の宮殿建築(パラッツォ)では、「主人の寝室」はアッパルタメント(複数部屋からなる居住空間)の奥深く、しかもその中心に置かれ、他と異なる卓越的な特権空間を創り出していた(注5)。つまり、先に見た通り、これと同様のことが「公爵の寝室」の事例でも看取でき、そこからヴェスパシアーノの寝室がパラッツォ・ドウカーレ内でも商い政治性を付与されていたことが分析できる。この寝室のなかには、当時の室内装飾として彩色陶板の床タイル(約20cm四方)と、木製の彩色格間天井だけが残されている(注6)。天井の格間は青地に各々黄金の小薔薇浮き彫りが中央に施されており、「青」と「黄金」というサッビオネータ公爵の紋章の色によってヴェスパシアーノの世襲権威が示唆されていた。ヴェスパシアーノの寝室は、日の出の方角、「東Jに向かって大きな窓がつけられており〔図3〕(「公爵の寝室J、パラッツォ・ドゥカーレ三階、サッピオネータ)、眼下に広がるマッジョーレ広場(現ガリバルディ広場)、パラッツォ・デッラ・ラジョーネ、聖母被昇天大聖堂を一望できるようになっている〔図4〕(パラッツォ・ドゥカーレから見たマッジョーレ広場、サッビオネータ)。報告者はこれまでの調査結果から、この「公爵の寝室J同様、「君主の寝室」の間取りがしばしば「東」の方角、すなわち日の出を向いていることを確認しており(注7)、ゆえにこの寝室の制作構想の思想的背景にも、太陽運行、或いは王朝における太陽崇拝という問題が深く関与していたものと推察している。後代の事例ではあるが、その典型的な例はヴェルサイユ宮殿にある。そこでは太陽王ルイ十四世の象徴である日の出(東)の真正面に「王の寝室」16世紀後半にパラッツォ・ドゥカーレに制作された「公爵の寝室Jは、正面ファサChamble du Roiが位置するよう計画され、ブルボン王家を守護する太陽神=太陽王ヘ-370 -
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