3.古画に倣うどの彼が得意とした浮世絵の美人画を参考に、細やかな姿態や様式の美しさをそのままを写し取るかのように扮装させた。中でも度々利用した西川祐信の関筆美人画や絵本は、上方女性風俗の特色を示す好例として重用し、そこに時代の気分を加味したので、なお情感の伝わるものであったと想像する。画家観方が納得する時代考証は、歴史学者が文献的正確さを重んじるというよりも、画家の制作意欲をかきたてる現実味や臨場感といったものを大切にするものであった。そのために、コレクションに当時の資料がない場合は、古画などから考証模造して全体の雰囲気を壊さない演出がなされた。これは、歴史事実を証明する時代考証というより、芝居のー場面を創作するような感覚といえるかもしれないが、これこそが吉川の本領を発揮する扮装写生であった。また、吉川の出版物の中の『日本風俗大図集』(昭和9年)には、自ら貴族風の化粧を施し、衣冠姿の公達に扮装している写真があったが、今回の調査で遺族からいただいた吉川の写真アルバムには、彼自らの扮装写真を数多く発見し、扮装することの重要性を再認識する機会となった。自分自身も扮装してみるということは、時代の気分(演出の装置)に自ら入り込むことであり、時代を五感で会得しようとした風俗研究家と画家が共存する吉川独特の方法であったと考える。今回の調査で〔図l〕〔図2〕は、昭和17年に完成させた「公達図」であることが判明したが、武官の束帯姿に扮装する自分の姿を写真に撮り〔図l〕、それをもとにほぼ等身大の大作を描いていた〔図2〕。これは、歴史人物画を描く上で吉川にとって最良のパフォーマンスであった。(作品は現在所在不明)吉川の作品には、落款に「倣(オ慮)古画平安東山画人観方画之」と記された作品がある。昭和初期頃の作かと思われる「女房図」(奈良県立美術館蔵)や、今回の調査で新出の昭和17年頃制作の「少女手毬図」(個人蔵)〔図3〕、同年頃葦戸の裾にめぐらされた檜板に描かれた「風流舞図」(個人蔵)がそれであり、さらに「偲農後人吉原真龍筆意平安東山画人観方写之」との落款のある昭和23年頃作「桜木太夫図」(個人蔵)〔図5〕である。それらは、古画に描かれた人物のポーズ(様式)を踏襲しながら、吉川独自の表情を加味するもので、過去の画風や様式を熟知し、消化した上で成り立つ絵画習得方法のひとつである。上村松園の作品にも浮世絵からの影響が多く指摘されているが(注16)、これに共通するものといえる。次に、古画が吉川のコレクションにある2つの作品について、若干の解説を行う。■「少女手毬図」(昭和17年頃)個人蔵〔図3〕-29 -
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