鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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3 〈画家の像》=理想の自己三部作の中心モティーフは松本の全身像である。ただし、〈両家の像》と《立てる像》はどちらも現実の松本ではない。前者は彼がこうありたいと願っていた理想的な自己のイメージであり、後者は逆に、こうありたくないと思う否定的な自己のイメージである。両者が対照的な意味を持つことは、2点の構想デッサンの比較によっても明らかになる。〈画家の像》の構想デッサン〔図6〕では、松本と妻子の姿は木炭を塗り込めた面により、確かな存在感を持った「量」として表現されている。画家は誇らしげに胸を張って顔をあげ、自信に満ちた表情をしている。一方、〈立てる像》の構想デッサン〔図7〕は、人物も背景の街も、松本が自分の「無意識」と呼んだ「黒い線」で描かれている。人物はダブダブの服を着てのっそりと立ち、表情には蒻りがある。なお、このデッサンに記された「16.6」つまり1941年6月の年記は、《画家の像》の完成作に着手する前からすでに《立てる像》の構想があったことを物語るが、その点からも、2枚の絵が異なる意味を持つものとして計画されたことは明らかであろう。〈画家の像》は、1940年3月の《茶の風景》に始まる「線」から「量」への転換にひとつの区切りを記した作品であり、前年までの口科展出品作から一変した写実技法による画面には、西洋絵画の伝統に接近しようという松本の意志が明瞭に表れている。人物と都市の表現には、この年『みづゑ』が特集を組んだピエロ・デッラ・フランチェスカとブリューゲルの影響がすでに指摘されているが(注3)、松本はさらに近代絵画からの引用をも加え、この画面にいわば西洋絵画の伝統を凝縮させることを目論んだようである。背を向けて木箱の上に座る妻のポーズは、『アトリヱ」1940年10月号口絵に掲載されたピカソの〈球乗り》〔図8〕の、サーカスの男の像を反転したものである。ピカソの芸術を現代の古典として称賛していた松本は、〈球乗り》の見事な「量」の表現に魅了され、それをここに取り入れたのであろう。また、松本自身のポーズは、1940年9月の新制作派協会展で初めて公開されたマネの〈自画像》〔図9〕におそらく源泉がある。ただし、顔と上半身は同じ向きだが、足の位置は反転している。マネの〈自画像》は松本所蔵の画集にも図版があるが、二科展と同時に開かれていた新制作展で松本が実物を見たことはまず間違いない。三部作の中心モティーフである「自己の全身像」の着想は、ここから得られたとも考えられよう。〈画家の像》の都市の中心には尖塔を戴くドーム屋根の教会があり、その周りを堅固な公共建築が取り囲み、街の外れには工場か倉庫のような建物がある。これはヨーロッパの都市の構造を念頭において松本が作りあげた空想の都市である。この都市を-380 -

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