鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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然に拡がり、空間がいっそう左右に引き裂かれている。このような背景の「分裂」とともに、人物の細部にいくつか左右の不均衡が仕掛けられていることは、すでに水沢勉による指摘がある(注5)。ズボンの裾の紐は右足が蝶結びにされ、左足は解けている。力の抜けた肩からだらりと伸びた両腕の先で、左手は握りしめられ、右手は弛められている。胸ポケットには片方だけ金ボタンがある。さらに、白いシャツの襟の間に見えるアンダーシャツの色は、奇妙にも左右が赤と青に分かれている。《立てる像》を描いた時松本は30歳になっていたが、この人物の顔立ちは少年のように幼い〔図10〕。しかし、目の脇には強い影が刻まれ、不健康な印象が漂う。また、顔の肌の色はどす黒く、緑色の影や小さな黒い染みがある。これは足や手の肌も同様である。さらに、《画家の像》の毅然とした表情とは対照的に、この人物の表情は虚ろで、目の焦点が合っていない。この人物の頭部に関しては、おそらくキャンヴァスに転写する目的で描かれた準備デッサンが残っている〔図11〕。このデッサンでは両目の向きが完成作よりもいっそう左右に開いており、当初の意図を明らかにしている。上に述べた人物像の細部の様々なアンバランスは、視線の大きな閣きを完成作ではやや修正したことを、別の部分で補う意味があったのであろう。以上に挙げた背景と人物の特徴が、すべてこの人物の内面を反映しているとすれば、〈立てる像》がファシズムヘの抵抗も、未来への希望も示していないことは明白である。これは、松本が恐れていたもうひとりの自分の姿に他ならない。空虚な曇り空の下、野良犬がうろつく薄汚い街外れに呆然と立ちつくす、愚か者の自分、つまり「知能を失った自分」である。〈立てる像》にも、西洋絵画からの引用がある。先に見た1941年6月の構想デッサン〔図7〕は、おそらくヴァトーの《ピエロ》〔図12〕から着想を得ている。そして、完成作の構図にはアンリ・ルソーの《私自身、肖像風景》〔図13〕が反転して引用された。ルソーの作品と《立てる像》は、風景とのプロポーションを無視して中央に巨大な人物を描く構成ばかりでなく、背景の建物の形態も酷似している。松本はルソーの自画像を、「愚か者」の自画像の先例としたのである。松本はそれまで彼が恐れて遠ざけようとしていた、こうありたくないと思う否定的な自己の姿を、《立てる像》に描くことによって直視した。しかし、そもそも「知能を失った自分」とは、彼自身に関する否定的な観念を集約した幻影でしかない。正面から見つめさえすれば、それが虚像にすぎないことがわかり、恐怖は直ちに消えたであろう。こうして、彼は自分の内面の根本的な問題を捉えたのである。完成された〈画家の像》と〈立てる像》の前で、彼はこう確かめることができたであろう-382 -自

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