鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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美術雑誌の誌面を彩る。『みづゑ』には、「ピーター・ブリューゲル作品集」(1938年4月)、「グリューネワルト作品集」(同5月)、「クラナッハ作品集」(同9月)、「伊太利文芸復興期作品」(1939年4■ 5月)、「ジオルヂネオ」(同8月)、「ピサネロ」(1939年9月)、「デッサン集(グラビヤ版)レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1940年1■ 2月)、「ウッツヱロ」(1940年2月)、「ホルバイン素描集」(同5月)、「ミケルアンジェロ・デッサン集」(同12月)、「ピッロ・デラ・フランチェスカ」(1941年4月)等々と銘打たれた写真図版集が、関連テキストと共に掲載された。また『アトリエ』でも、「ジオットウの壁画」(1938年11月)、「ヴェネーツィア絵画」(1939年6月)、「ゼエローム・ボッシュ其他」(1940年2月)、「ピーター・ブリューゲル」及び「ジェローム・ボッシュ」(同8月)、「独逸彫刻第一第二の全盛時代」(1941年3月)、「独逸ルネッサンスの絵画と素描」(同5月)と題された写真図版集および関連テキストが掲載された。戦時統制による美術雑誌統廃合の後も、『新美術』には「チシアン作品集」・「伊太利デッサン集」(1942年3月)、「レオナルド・ダ・ヴィンチ・デッサン集」月)、「ファンアイク作品集」(同11月)、「デユウレル素描」(1943年11月)等が、『美術』には「マサッチオ作品」(1944年11月)が掲載されている。特に1941年頃から目立つのは、膨大な作品図版集と複数のテキストで構成された本格的な特集号、連載の増加であり、この頃ルネサンス美術への注目がさらに高まっていたことをうかがわせる。『みづゑ』は1941年1月の久保貞次郎・小此木箕三郎編著「ブリウゲル特輯」、同年5月の柳亮・編著による臨時増刊特集号「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を刊行した。『アトリエ』1941年1月には相川春喜、田近憲三、佐藤敬のルネサンスに関する論考と図版集「文芸復興絵画集」が掲載された。さらに同誌同年2月は「STUDISU LEONARDO DA VINCI」、同年5月は「ルーカス・クラナッハ研究」と、共に多数のテキストと写真図版によって構成された特集号が刊行されている。また『アトリエ』では、1941年7月に「ルネッサンスの美術家評伝」の連載を開始し、第一回目としてパオロ・ウッチェロがとりあげられた(注3)。『生活美術』の1942年1月は「黎明期の伊太利亜絵画」特集、『新美術』1942年8月は臨時増刊「ボッティチェリ」であった。その他の雑誌特集号としては、『造形型芸術』誌上のテキストと写真図版によるグリューネヴァルトの小特集(1939年12月)、「デューラーの芸術」(1940年8月)、「ファン・アイク」(1941年7月)、『造形芸術』の後継誌『画論』誌上の「ジョット」(1943年3月)、「ドナテロの彫刻」(同5月)、『制作』1944年12月の特集「ジオット」(柳亮著)等が注目される(注4)。(1942年5月)、「ホルバイン素描集」(同7月)、「ボッテイチエリ作品集」(同11■12-391 -

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