鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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注い。先述のように1930■40年代、国内のルネサンス研究の基礎が固められた時期でもあった。この時期に翻訳・執筆された書籍のなかで、戦後にも参照され続けたものは少なくはない。また、日本の文化にルネサンスを探す文化史の枠組みは戦後も踏襲される(注14)。たとえば日本における文化史家の草分けである大類伸は、先に引用した『ルネサンスの潮流』を、戦後の1948年に序文と外国文献の抄訳以外を削除する他はほとんどそのままの形で刊行している。第二次大戦前後のルネサンス論の代表としては、羽仁五郎の『ミケルアンヂェロjがあげられることが多い。三輪泰史の「暗黒のイタリア封建制に擬して日本ファシズムを批判する、激しい弾劾の書だった」(注15)という『ミケルアンヂェロ」評価に示されるように、現在、特に第二次大戦下のルネサンス論は戦時イデオロギーに対する批判だとみなされる傾向にある。だが本報告で見てきたように、戦時下のルネサンスを時局への抵抗としてのみ捉える見方は一面的すぎる。『ミケルアンヂェロ』に代表される戦時下のルネサンス論に対する評価は、むしろ戦後の文脈から遡行した結果でもあるだろう。〔参考表〕で1945年以降の書名を確認すると、“ヒューマニズム”という語を冠したルネサンス論考が目につく。「古典研究」、「人文主義」と翻訳される“ヒューマニズム(あるいはユマニスム)’'は、周知の通り「ルネサンス」と不可分の概念である。渡辺一夫が述べるようにこの語は「単に博愛的とか入道的とかいう意味」(注16)では決してないのだが、戦後民主主義下のルネサンス論において、この語にそうした人道主義的意味合いが込められていなかったとは考えにくい。むしろ逆に、羽仁五郎、渡辺一夫、林達夫等の戦時下のルネサンス論に対する評価こそが、戦後の「入道的」なコンテクストから遡行した結果もたらされたものなのではないだろうか。この意味でも戦後におけるルネサンス評価の変遷を、今後もっと検証する必要がある。(1942年9月)等も看過することができない。「戦後」という制度」インパクト出版会、2002年3月、126■150頁(2) 渡邊一民「林達夫とその時代」(岩波書店、1988年10月)等を参照。(3) 掲載誌の「アトリエ」が翌々月に統廃合により「生活美術jとなったため、連載はこの1回で頓挫する。(4) 美術専門誌ではないが、日伊協会機関誌『日伊文化研究』の特集号、「フィレンツェに於けるレオナルド・ダ・ヴィンチ」(茂串茂著、1941年11月)、「レオナルド・ダ・ヴィンチ特輯」(1)「「戦後文学」の起源について‘‘最後の頁”からの出発」、川村湊編「文学史を読みかえる5(5) 〔参考表〕の注を参照のこと。-396 -

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