鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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た、油彩画において脂の乗りきった時期は、挿絵の仕事においても充実した内容が窺える。小磯は、初めての「暴風帯」における挿絵を終えたのち、周囲の意見も聞き、また自らによっていくつかの反省点を得たであろう。「波濤」(1938年、林芙美子著朝日新聞)の挿絵では、例えば「暴風帯」で起こったような登場人物の容姿の統一感の無さというようなことは感じられず、主人公の若い女性の顔や髪型が常に同じ雰囲気で描かれ、しかもそのポーズは柔らかく、情趣あるしなやかさを含むようになっている〔図10第1回〕。挿絵の女性主人公は、当時小磯が油彩画制作のために使っていたモデルによるものと思われる。小磯の描く女性の顔は、モデルを使いながらも、次第に小磯が理想とした、いわば架空の人物の顔となっていったことは、小磯自身が語っていて良く知られているとおりであるが、この1930年代半ば頃から、1940年代前半に使用したモデルの時代に、小磯の描く典型的な女性の顔の造作が整いはじめたように思われる。写真でこのモデルを確認すると、日本人にしては顔の凹凸のはっきりとした、エキゾチックな印象を与えるモデルであることがわかる。モデルの顔立ちが小磯の趣味に合ったことと、このモデルが非常に静かな人物であり、余計な話をすることもなく、画家のいうままに、じっとポーズを取り続けたということも、小磯がこのモデルを好んで使った理由であっただろう(注3)。「波濤」において、女性人物をイメージ付け、一貫した姿で描き出すことに成功したのは、このモデルの存在であったからであると言えるかもしれない。また、「薔薇合戦」を手がける直前、1937年の1月から雑誌『新女苑』の表紙画を手がけていたことも、小磯に、挿絵の仕事をする上での発展をもたらしたであろう〔図11『新女苑』表紙画〕。『新女苑』の表紙画は油彩で制作されたが、モデルを、通常の油彩画制作の時と同じ心構えで描くのではなく、甘美な雰囲気や、時には物憂げな表情を加味し、読者である若い女性の心を捉えるような叙情的な描き方を工夫している。それは、流行の挿絵の研究もさることながら、小磯が挿絵を、自らの制作における一つの分野として独立させ、独自の挿絵スタイルを確立しようと意識し始めたことによるのではないかと思われる。「波濤」の挿絵は、描線の種類、陰影が豊かになり、より繊細で緻密な表現になっている。同時期に手がけていた素描と遜色のない感がするものの、「波濤」の挿絵では、人物の顔が幾分か様式化され、輪郭線を比較的くっきりと引き、画面に物語性と通俗味を加えていることで、素描とは異なる挿絵独特の雰囲気を醸し出している。しかしそこには堅牢な素描力が示されており、これらの挿絵は小説を引き立て、読者に次のストーリーと挿絵を心待ちにさせたと思われる魅力に満ちている〔図12第37回〕。人物主体の挿絵の場面のみならず、風景の描写においても、身近な風景や実際に訪れた場所を写-403 -

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