を収集し、あわせて可能な限り、雑誌の連載小説の挿絵のコピーをも収集した資料を通覧すると、初期のものから後期のものへと時代が下るにつれて、小説の内容と挿絵がしつくりと馴染んだ雰囲気を醸し出していることに気づかされた。年齢を重ねることにより、小磯の小説の読み込み方も深くなり、挿絵として効果的な場面を抽出して表現することに労を要しなくなっていったのだろう。小磯はそもそも研究熱心な画家であり、小説の舞台となる場所の調査はもちろんのこと、挿絵を手がけるにあたって、他作家の挿絵を意識して見ることもあっただろう。同じ新制作派協会の猪熊弦一郎や中西利雄、佐藤敬、脇田和、他のメンバー達も同時期に挿絵を手がけており、当然それらをも目にしただろう。とはいえ、小磯が他の作家達の挿絵から影響を受けたとは考えにくいのである。小磯は、印刷技術を考慮した挿絵の技法の研究も重ねたが、その変遷は、どちらかといえば、小磯自身の油彩画等の制作の変化に連関していると考えられる。小磯は、デッサンとは異なる一分野として、若干の通俗性を加味しながら独自の挿絵芸術の世界を展開した。そこには、日頃、小磯がデッサンを描く際に感じていた喜びと通ずる気分が込められているように思われるのである。-407 -
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