長年染織品は決定的な年代の推定に客観的な根拠を持たない資料であったが、その文様と技法の様式によって年代の判断に先鞭をつけたのは野村であった。その黎明期において年代区分の試みが、野村の出版物によってみることができる。つまり、『小袖と振袖』(昭和2年刊)では、小袖の制作年代を江戸時代の初期・中期・末期(注25)で示すのみであったが、『続誰が袖百種』(昭和5年刊)では、画家・浮世絵師の作画期を制作年の代わり(注26)に扱い、『続小袖と振袖』(昭和7年刊)では、室町・桃山時代を除き江戸時代は年号を単位とする表記に変わっていった。さらに『時代小袖雛形屏風』(昭和13年刊)では、年号を単位として、一部伝来のあるもののみ限定した年代を附している。研究(注24)によれば、野村の年代判定要素として、小袖の意匠様式や形態的特徴が主観的に解釈され、今日の基準より引き上げて設定される傾向にあるといわれる。では、吉川の場合は、何を年代の基準としたのであろうか。このヒントになるのが、吉川の『浮世絵の顔』(昭和4年刊)である。ここで表記される浮世絵師の作画期は、年号単位であり、それは客観性を備えた年代である。この本は顔の部分ばかりが取り上げられているが、吉川の浮世絵研究の集大成として刊行されたこともあって、すでに小袖の観察も十分に成され、当世を示す服飾と認識された上で作品評が記されているので、小袖研究でも指標にしたものと捉えても差し支えないだろう。また、凡例の中で小袖研究の先駆者として野村の功績(注27)も記されていることから、この本が小袖の実例と共に読まれることを望んでいるとも考えられる。つまり、吉川の年代の基準はまず浮世絵師の作画期にあるといえる。次に、書店天摩堂主人の依頼で刊行した『雛形かがみ』(昭和5年刊)では、江戸時代に出版された数々の小袖雛形本を散見し、特に元禄半ばから明和にかけての約70年にわたる染織の加工、地色、文様の流行をつかみ、当時の小袖文様の復刻を試みている。木版摺りで鮮やかに再現された江戸中期の文様は、選び方に吉川の好みがあるとはいえ、当時の華やかな小袖の隆盛をはっきりとイメージさせるものである。この時吉川は、雛形本の刊行年を手がかりに、江戸時代中期における文様や技法の傾向を十分に会得したに違いない。そして『衣服と文様』(昭和8年刊)では、野村の賛助もあって、54カットの小袖・小袖裂を掲載している。小袖類の年代は年号を単位としたもので、延宝期、享保期などかなり限定した表記となっている。この本に掲載されている彼のコレクションの小袖.裂地を包む畳紙や台紙には、‘‘きわ箔”や‘‘鹿の子”といった技法や、時代によって異なる袖や身巾の寸法を記したメモが散見でき、刊行のために現物を周到に-33 -
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