ィに基づく同時代のコピーとされる作品(注6)、及び現在ウフィッツィ美術館に所蔵されるマンフレデイの〈キモンとペロー》である〔図5,6〕。この二点は、キモンとペローの左右が入れ替わるなど、互いにやや異なった構図を示しているが、いずれも縦長の画面に四分の三身像で人物を収め、牢獄を示唆する小道具はキモンの手を縛める鎮のみというものである。カラヴァソジョの表現と比較してみると、二人の間に鉄格子を挟むか否かという設定上の大きな相違があるが、キモンの頭部や、背後へと顔をめぐらせるペローの表現に留意すべき共通点がある。カラヴァッジョの《七つの慈悲の行い》においては、他の「慈悲の行い」がペローの背後、つまり画面の左手に表現されており、そちらの方向を見るペローを描くことで、絵を見る者の視線を導くことも意図されていたに違いない。また「七つの慈悲の行い」のなかに含められることにより、「キモンとペロー」という元来の説話的コンテクストからはある意味で切り離されており、このペローの視線が、物語上のもっともらしさを企図した「ことの発覚を恐れる」表現であるかどうかについてぱ慎重に検討する必要があるだろう。だがマンフレディ作品に取り入れられたとき、ペローのこの仕草は、明らかに物語の真実らしさを醸し出すものへと変貌している。マンフレディはカラヴァッジョの〈七つの慈悲の行い》から「キモンとペロー」の物語だけを取り出してひとつの作品に仕上げたと推測されるが(注7)、その結果、このペローの視線は授乳行為の露見に対する彼女のおそれを表すものとなり、画面の緊迫感をいやが上にも高めているのである。そして、マンフレディがこのように採り入れたカラヴァッジョのペローの視線は、これ以後の「キモンとペロー」の表現においては定石となるのである。例えば、ファン・バビューレンが1623年頃に制作した〈キモンとペロー〉〔図7〕には、マンフレディ作品〔図5〕からの影響が看取される。ペローの頭の向き、はっきりとした二重まぶたの丸い目や直線的な鼻梁といった造作の特徴、父に授乳しながら後ろからの視線を気にする仕草、みずからの左胸を支える右腕の表現や、上体のかがめ方などに、両者の共通点を見てとれよう。ここでファン・バビューレンはルーベンスのエルミタージュ作品のキモンとマンフレデイのペローとを、謂わば統合して、この緊迫感にあふれる《キモンとペロー》を制作しているのである(注8)。キモンは、ルーベンスのエルミタージュ作品と同様に、足を伸ばして床に座し、くるぶしのところで両足を交差させる。後ろに回された左腕や腹部によったしわの表現からも、ファン・バビューレンがルーベンスの作品を知っていたことは確実であろう。ここでファン・バビューレンは、人目を気にしながら行う授乳のあわただしさを表現するた-414 -
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