観察した痕跡が窺える。ただし、この本に収録された小袖は江戸前期が少なく、江戸中期のものが中心となっているが、これは自分のコレクションにはその作例が少なかったことが最も大きい要因だが、野村への遠慮もあり、さらには江戸中期の方が彼の知識や興味のある浮世絵師(祐信など)が活躍した時代でもあったため、守備範囲は専ら江戸中期以降においたのであろう。最後に昭和15年に故実研究会が編集したもので『歴史にみる奢1多禁令』という小さな冊子を挙げておく。これは平安時代の禁令から、特に寛文から享保までの度重なる禁令・御触書を中心に江戸末期の事例までまとめたものである。年代は禁令の発行された年号の表記であるが、全体的には天皇の在位で区分されている。禁令による衣服への装飾の制限は、流行文様や技法の方向も示唆することとなり、小袖の年代判定の参考にしたものと考えられる。以上を総合して、吉川の年代判定の要素を下記のようにまとめてみた。・文様(雛形本・浮世絵・実際の小袖を要素として)←野村氏の影響・技法(雛形本・実際の小袖を要素として)←野村氏の影響・流行(浮世絵・奢1多禁令を要素として)・法量(奢修禁止令・浮世草子・実際の小袖を要素として)・配色(風俗画・浮世絵・浮世草子を要素として)・地質(雛形本・実際の小袖を要素として)←野村氏の影響・着用者(有職故実・風俗研究の文献資料を要素として)・伝来(旧所蔵者・有職故実研究家からの情報を要素として)これらの主観的・客観的要素が入り混じりながら、総合的に年代を判定したように考えられるが、最終的には、扮装してみて不自然でないもの、絵画的にも時代の気分を示せるものをめざしたために、学術的成果としてはあまり重視されていない。しかし、一方で昭和6年から開催された染織祭や昭和11年からの祇園練物の行事をとおして、吉川が一般市民に印象付けた時代風俗には、彼の絵画的イメージから復元・新調した小袖が多く含まれ、吉川のアイデアが生かされているのも事実である。小袖及び小袖裂は時代区分する単なる材料ではなく、小袖をしてその時代がどのように表現されたのか、どのように時代を生きてきたかが重要だと考えた観方の風俗研究家としての一貫した信念によるものであり、小袖は物質として残る遺物ではなく、それは今も人々が美しく身につけ、豊かな装飾性に満ちた存在であるとの画家としての願いが結集したものと考える。吉川の視点は一般市民の心に浸透していくことによって育成され、小袖の新たな価値観を根付かせることになったのである。-34-
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