鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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⑪ 斎藤義重とロシア構成主義について研究者:神奈川県立近代美術館学芸員長門佐季はじめに日本の現代美術の先駆者として知られる斎藤義重(1904-2001)については、生前に開催された数々の展覧会(注1)ならびに、2003年に開催された没後初の回顧展(注2)を契機に、これまでにも数多くの研究がなされてきた。しかしながら、斎藤義重の創作活動が多くの研究者に注目されるのは、おもに戦後1957年に第4回日本国際美術展出品作〈鬼〉(1957年、神奈川県立近代美術館蔵)でのK氏賞受賞以降のことであり、戦前の活動については、作品や資料のほとんどを戦災で失ったため明らかにされていない点が多い。現在、調査を進めている神奈川県立近代美術館が所蔵する斎藤義重文庫(以下斎藤文庫)にも戦前の資料は非常に少ない。とはいえ、本稿は斎藤義重の没後、夫人である知子氏から2002年度に神奈川県立近代美術館に寄贈された作品と資料をもとに、その調査をすすめる過程で、1936年から1941年までの初期作品および活動に焦点を絞って、断片的ではあるがあきらかになりつつあるロシア構成主義との関わりを検証し貴重な成果を導き出そうとするものである。なお、斎藤義重文庫の内容は、和書:約1400冊、洋書:約200冊、和雑誌:約15タイトル、洋雑誌:約10タイトル、展覧会図録:約700冊、写真:35mmフィルム約芳名帳、新聞切り抜き、エ具類などである。これら資料の詳細については、整理が済み次第、順次公表してゆきたいと考えている。出生地の問題斎藤義重は1904年5月4日、父長義、母サキの口男として生まれた。これまでの展覧会図録等の年譜では、出生地は東京とされていたが、作家の没後公にされた戸籍抄本の写しによって、出生地は青森県弘前であることが明らかにされた(注3)。出生地をめぐる問題については、斎藤義重研究に新たな視点をもたらすだろうと考えるが、ここではあえてその点には踏み込まず、残された資料から戦前の作品と活動を振り返りたいと思う。1200コマ、紙焼き写真、スライド、書簡、手帳、メモ、マケット、画廊リーフレット、l 抽象への目覚め-422 -

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