鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
435/598

う言葉については一考の余地があり、このような記事を見ても、当時シュルレアリスムがどのように解釈されているかという問題が浮上してくる。〈カラカラ〉二科展とほぼ時期を同じくして第14回黒色洋画展が開催される。出品作〈カラカラ〉では、構成主義的要素が一気に強くなっている。目録によれば、出品作のタイトルは「V」となっており、〈カラカラ〉が同展覧会に出品されたかどうかは不明とされてきたが(注15)、今回斎藤文庫のなかから発見された絵葉書により、第14回黒色洋画展への出品が確認できた。さらに、これまでこの作品のタイトルについて図録等に〈カルカラ〉と〈カラカラ〉の二つの表記があったが、絵葉書の下部に印刷された作品タイトルに、本人のものと思われる鉛筆の書き込みで「ル」が「ラ」に改められていることから、〈カラカラ〉が正しいと考えられる〔図3〕。なお、絵葉書の裏面には「木と絹Jと手書きの記載がある。写真図版からでは作品の細部を確認することは困難であるが、黒く着色された平面を背景にして木片と糸でイメージが構成されている。垂直、水平をもたず、ぴんと張った糸のテンションによってバランスが保たれた作品では、それまで日本では見られなかった実験的な試みがなされている。当時、斎藤義重が見知っていたと思われるウラジミール・タトリン(1885-1953)の〈反レリーフ〉〔図4〕やナウム・ガボ(1890-1977)の構成的な作品を意識したものと推測されるが、当時はあまり評価されなかったようだ。この作品は、戦後の構成的な傾向が色濃く見られるオブジェ(大辻清司とのコラボレーション)〔図5〕に通じる興味深い作品である。なお、これと非常に近い発想で描かれた〈素描〉〔図6〕が1939年の『美術文化」第2号に掲載されている。ところで、1937年の第15回黒色洋画展への出品については、展覧会リーフレットに名前と連絡先、素描と思われる作品図版〔図7〕が掲載されているものの、出品リストには名前も作品名もない。おそらく当初出品を予定していながら作品を出さなかったと思われる(注16)。〈カリグラフィ〉確認できていない。次に確認できるのは絶対象派協会第1回展に出品された〈カリグラフィ〉である。出品4点のうち2点が図版で確認できる。1点は絵葉書〔図8〕が斎藤文庫にあり、同じ作品が絶対象派展会場写真にも写っている(注17)。もう1点1936年の二科会十二人展と翌年の第24回二科展については、残念ながら作品図版が-426 -

元のページ  ../index.html#435

このブックを見る