鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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の作品は『アトリヱ』1938年7月号に図版〔図9〕が掲載されている。以下は『アトリヱ』に掲載された内山義郎の評である。「斎藤義重氏に就いては過日「美術通信Jの紙上に於て推奨した作家であるが、私の期待を裏切らなかったことは私自身としても嬉しかった。(中略)齋藤義重氏は立骨豊の世界を平面化する形式において自己の世界を純化しつ、あるけれど、未だ央雑物があることをこの機會に指摘して置かう。自己の世界を豊かにしながら、貧しくなく純化することは仲々難かしいことではあるが、あへて氏に望む次第である。(後略)」(注18)。ここでは、文字と絵画という二次元の関係が意識されているが、〈カラカラ〉以降、絵画的要素の立体化、あるいは三次元的なものの平面化が斎藤のなかで意識され始めたように思われる。〈作品〉化協会秋季展〔図15〕に出品された作品は全部で10点あり、そのうち7点のイメージが確認できる。「それ以前に制作していた構成主義的傾向を超えることを期して試み始めた」(注19)とされる着色合板による作品ではあるが、構成的要素は強い。タイトルはいずれも「作品」であり、この頃から、説明的要素を作品から排除する傾向が強まる。残念ながら写真資料が白黒なため、色についての特定はできない。写真と比較すると、再制作された作品とは色の感じが多少異なるように見えるが、基本的には赤、黒、青、白の4色が使われていたと思われる。現在〈トロウッド〉とされる作品群は、これらの図版資料をもとに1973年に再制作されたものである。なお、当時の作品で唯一現存が確認できるのは、1999年の「斎藤義重展」の際に筆者が発見したラージュであるこの作品は、現存する唯一の斎藤の初期作品であるというだけでなく、当時の日本における構成主義の作例としても貴重なものであり、2002年に町田市立国際版画美術館で開催された「極東ロシアのモダニズム展」にも出品された。では、これらの作品について当時の反応はどうだったのだろうか。峰岸義ーは『美術』6月号で「(前略)齋藤義重君の作品は、アルプの彫刻絵画に近い即物配列で、思い切ってゐる。(後略)」(注20)と評している。また、美術文化展出品作については、1940年5月号の『美ノ國』に林達郎が以下のように記している。「斎藤氏の作品四点は、着色材を画面的に嵌め込んだ抽象的作図であり、見る人はここで一度生理的感覚の逆立ちを味へばよいのである。」(注21)これら平面的要素を三次元に置き換えた着色合板によるレリーフ状の作品は、ワシーリー・エルミーロフが1920から23年頃1939年の九室会〔図10■12〕および1940年の美術文化協会展〔図13,14〕、美術文「1937G.S.」の記載のある〈無題(コラージュ)〉〔図田〕1点だけである。紙のコ-427 -

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